幸楽苑」大量閉店を「大失敗ではなく大英断」と評価すべき理由

カテゴリー/ フリースペース |投稿者/ ビレンワークアップ
2020年01月16日
デフレの勝ち組」が一体なぜ

 2020年1月6日、まだ正月のノンビリした空気の残る仕事始めのこの日、一本の驚きのニュースが話題となった。かつては“290円中華そば”で「デフレの勝ち組」とまで言われた幸楽苑が、2020年4月までに51店舗を閉店すると突然発表したのだ。

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 51店舗というと同社の総店舗数は500店舗弱なので、全体の1割の店舗にも上る。
「低収益店舗を閉店・業態転換を通して収益重視型経営(プロフィット・ドリブン)へ加速度的にシフトし、お客様・株主に貢献できる会社を目指します」が同社からの説明だ。

 ここに至る原因として記憶に新しいのは、2019年10月の台風19号による大規模水害の影響で、同社の郡山工場が操業を停止。約250店舗が食材提供ストップとなり休業に追い込まれたことだ。

 この影響により、既存店舗売上昨年対比(直営店舗)は10月30.7%減、11月11.8%減、12月6.7%減となっている。

 筆者は外食産業を専門とするコンサルタントである為、長年同社についてもウォッチし続けてきた。ここ直近だけを振り返れば、2018年3月期に当期純損失32億円という大きな苦難を、2019年3月期にたった1年で当期純利益10億円まで回復させ、2019年8月までも既存店舗売上昨年対比100%を超え続けるなど、総じて幸楽苑の経営は「順調な流れ」であると受け止めていた。

 ここでもう少し大局的に振り返ると、また見解が違って見えてくる。

苦境のきっかけは「290円中華そば」

 幸楽苑の歴史は、現社長の祖父が1954年会津若松に、たった6坪、従業員3名でスタートした「味よし食堂」から始まる。現在の幸楽苑の原型は、現会長が1966年修行から戻って「華宮飯店」を開業。翌年、味よし食堂の名前を「幸楽苑」と変更し、1970年に株式会社化するあたりからと言える。

 当然店舗展開にあたり、不採算店舗と言う苦難も味わいながらも、同社は総じて順調に成長。1997年株式を店頭公開、2003年には東証一部に市場変更している。

 先にも記したが、1990年代後半~2000年代は「デフレの勝ち組」と評価を集めた。そして2010年代に入り、振り返れば今に繋がる苦境の入口に入っていたのかもしれない。

 幸楽苑ブランドは、よく「日高屋」ブランドと比較される。特にこの2010年代に入ると“チョイ飲みブーム”もあってか、駅前立地戦略の日高屋の評価が上がっていった。その一方、比較対象にされた幸楽苑は、時代遅れなデフレブランドと称されることもあり、デフレの勝者は戦略変更を余儀なくされた印象がある。

 筆者は、今回の「51店舗大量閉店」のニュースを耳にし、ここに至る要因を考察してみた。

 先に「2010年あたりをきっかけに苦境の入口に……」と記したが、より大きな苦境を実感したのは2015年である。そのきっかけは人気メニューだった「290円中華そば」を止め、「司らーめん」という本格派で金額も500円近くの商品を投入した際に起こした顧客離れだ。

 さらに、翌年にはショッキングな「切断された指が混入した商品がお客様に提供される」という異物混入事故が発生。大手メディアでも連日報道が続き、顧客イメージが大幅にダウンすることとなる。

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