観光ヘリ墜落、6人死亡 過去5年で9件目 米ハワイ
2019年12月29日
米ハワイ州カウアイ島で26日夕、乗客6人と操縦士1人が乗ったツアー中の観光ヘリコプターが消息を絶った。
当局は27日にヘリの残骸を島北西部の山岳部で発見。現場から6人の遺体を収容した。米メディアが伝えた。当局者は「生存者がいることを示すものはない」と話している。
ヘリは現地時間26日午後4時40分(日本時間27日午前11時40分)ごろ、北西部のワイメア渓谷を離れることを伝える交信を最後に消息を絶った。当時雨が降り、風も強かった。ヘリの残骸は渓谷の北にある州立公園で発見された。乗客は2家族で子供2人が含まれているという。
カウアイ島は海岸線や渓谷、滝などの美しい景観で知られ、映画「ジュラシック・パーク」のロケ地にもなった。ヘリによるツアーも人気がある。一方、ロイター通信によると、ハワイでの観光ヘリ墜落は過去5年間で少なくとも9件目となる。
在ホノルル日本総領事館によれば、現時点で日本人が巻き込まれたという情報はない。
ロシア、極超音速弾頭を配備 音速の20倍、ミサイル部隊に
2019年12月29日
ロシア国防省によると、アバンガルドは音速の20倍の速度で飛行。アバンガルドを搭載した大陸間弾道ミサイル(ICBM)は米国のミサイル防衛システムを突破して、米本土を狙う能力があるという。
ロシアは新型兵器の開発を急ぐ一方で、米国が2021年2月に期限が切れる米ロ間の新戦略兵器削減条約(新START)の延長に応じるなら、アバンガルドなどを同条約の監視下に置く用意があると表明している。
中国、トヨタに罰金13.7億円 レクサス販売で独禁法違反
2019年12月29日
中国国家市場監督管理総局は27日、トヨタ自動車の現地法人に対し、独占禁止法違反で8761万元(約13億7200万円)の罰金を科したと発表した。
高級車ブランド「レクサス」の価格設定に問題があったとしている。
江蘇省市場監督管理局の6日付の決定書によると、トヨタの中国法人は2015年から18年にかけ、省内のディーラーに対し、レクサスのインターネットを通じた販売の価格を同じにするよう求めたほか、最低価格の設定に制限を加えていたとされる。
同管理局は「市場競争を排除、制限し、消費者の利益に損害を与えた」と指摘。16年の省内売上高の2%を罰金として科したと説明した。トヨタ側から陳述や釈明はなかったという。
【#実名報道】なぜ必要? 一貫しないマスコミの根拠、実名公開より「申し入れ」に反応したネット
2019年12月29日
本年7月18日に起きた京都アニメーション放火殺傷事件はその被害の悲惨さ、トップクラスの人気を誇るアニメスタジオへの犯行といったことから、社会の大きな注目を集めた。
中でも議論を呼んだのは、犠牲者の実名報道への是非であった。京都府警が8月2日に被害者の実名公表を10名にとどめたことは、マスコミから大きな批判に晒され、逆にそのマスコミの姿勢に対してネットで非難が寄せられている。過去にも実名報道を巡る議論は度々起きていたが、今回は被害企業である京アニ側が早い段階で警察・報道へ実名公表・報道を控えるよう要請し、明確に意思表示したことも大きいだろう。
今回のこの企画では、マスコミや個人といった様々な主体が実名報道について語るものだが、そもそも議論の前提となるファクトの整理が不十分であるように感じられた。そこで本稿では、議論や分析の前に、京アニ事件における犠牲者の実名報道について、マスコミ、京アニがどのような論理をもって臨んだのか。そして、ネットはどのように反応したかのファクトを整理したい。
論理の一貫性の無さが目立ったマスコミ
京アニ事件での犠牲者の実名について、マスコミはどう関心を持っていたのか。10月18日に行われた京アニの記者会見において、代表質問で実名に関するものは10のうちの1つに過ぎないが、代表質問後に行われた各社の質問では、31の質問のうち7つが実名に関連する質問であり、高い関心を持っていることが窺えた。
マスコミの姿勢についてはどうだろうか。事件後、多くのマスコミは犠牲者の実名公表を求めている。在京主要紙では、8月4日の産経新聞、8月18日の読売新聞で実名の公表を求めている。
また、8月20日には京都府内の報道12社による在洛新聞放送編集責任者会議が、京都府警に対し「事件の全体像が正確に伝わらない」と懸念を伝え、「過去の事件に比べても極めて異例」として速やかな実名公表を求めたことを時事通信は報じている。
そしてなにより、府警が犠牲者の実名を公表するや、多くのマスコミが実名報道に踏み切ったことからも、マスコミの大勢は京アニ事件での実名報道を肯定する立場なのは間違いない。一方で、日刊スポーツは「今回の事件について、遺族の方々のお気持ちを鑑み、匿名を希望される方の実名は伏せて報じています」と表明するなど、遺族の意向を尊重したマスコミも少数ながらあった。
京アニ事件の実名報道について、マスコミの大勢が肯定的である。では、実名を必要とする論理に一貫性はあるのか。京アニ事件の実名報道に関する、マスコミ各社の主張を以下にまとめた。

筆者の調べた限り、上のように各社の実名報道についての論理は一貫していない。再発防止、社会の教訓、悲しみを伝えるため、真実を伝えるため、流言飛語の拡散を止めるため、故人を私たちの中で生かすため等、まるでまとまりがない。
マスコミ全体のコンセンサスに近いのは、マスコミ倫理懇談会の採択にある「事実を正確に伝え、事件の真相に迫るため」と思われるが、各社の主張では情緒的な理由に訴えているところも多い。
情緒的な主張として、8月3日の毎日新聞は「遺族の悲しみを伝えるため」としているが、遺族の大半が望んでいないにもかかわらず、遺族の悲しみを持ち出す主張は理解に苦しむ。また、毎日新聞はアルジェリア人質事件での犠牲者の実名報道についても、2013年1月26日付の社説で「犠牲者がどんな方々か分かったことで、社会として事件を記憶し、今後の教訓もくみとっていくことができる」としており、京アニ事件のそれとは主張が異なっており、社としても一貫性がない。
ここでは毎日新聞を例にしたが、社としての一貫性のなさは他社にもみられるものだ。情緒的な主張の多さからも、記者個人の心情に左右されており、一貫した論理をマスコミは持っていないと考えられる。
当初から一貫していた京都アニメーション
一方、京アニはブレなかった。
事件後の7月21日、京アニが自社サイトに掲出した「7月18日に発生した事件について」というリリースでは、当初は実名報道についての記述は無かったものの、7月24日の改訂で警察・報道に対し、本件に関する実名報道を控えるよう書面で申し入れたことを明らかにしている。また、8月27日に京都府警から25名の実名が公表されると、京アニの代理人を務める桶田大介弁護士は、公表・報道されたことを遺憾とするコメントを出している。
京アニが本件の被害者について、一貫して実名報道を控えるよう要請したのはなぜだろうか。10月18日に行われた記者会見で八田社長は「根底はまずはご遺族に添いたい」、「ご遺族の方を中心にして考えてまいった」との基本に基づき、公表は会社マターでないと判断した旨を明らかにしている。
そして、会見の中で、京アニが早い段階での実名公表を控えるよう要望を出した理由について、桶田弁護士は次のように語っている。
相当多数と接触ができ、その中の相当多数の割合がそのようなご意向をお持ちでしたので、あのような動きをさせて頂いたということでご回答申し上げます。
このように、当初から遺族の相当多数は公表に否定的で、京アニもそれに基づいて実名報道を控えるよう関係各所に要望していた。京都府警が8月28日に25名の実名を公表した際も、25名のうち20名の遺族から公表を拒否されたことが明らかにされている。
今回の京アニの実名報道に対する姿勢について、より詳細を伺いたいと桶田大介弁護士にインタビューを申し込んだところ、インタビューは断られたものの、12月4日にメールで回答を頂くことができた。この時点での京アニの見解として、以下に転載する。
- 京都アニメーション(以下「弊社」といいます。)として、いわゆる「実名報道」に関して固有の考え、意見はございません。
- 他方、今般事件の報道における「実名報道」には、当初より、弊社は被害者・ご遺族の実名報道をお控えいただきたい旨、一貫して求めて参りました。これは、10月18日の記者会見で代表からもお伝えしたとおりの理由によるものです。詳述すれば「弊社としては被害者・ご遺族のご意向が第一であり、本来、弊社が判断すべき事柄ではない。他方、弊社は被害者・ご遺族の実名報道について、避けて欲しいという方がいらっしゃることを事件当初から承知していた。そこで、弊社は、 被害者・ご遺族のご意向を旨とする弊社の方針に則り、被害者・ご遺族の実名報道を控えることを求めた。」ということです。
このメールを見ても明らかなように、遺族の意向を第一に置き、公表を望まない遺族がいることから、実名報道を控えることを求めたという京アニの姿勢は、事件当初からブレなく一貫している。
マスコミの要望に苛立ったネット
実名報道の動きについて、ネットはどう反応したのか。UserLocal社のSNS分析ツール「Social Insight」を利用して、まずはTwitter内で実名報道がどう語られたかを6月20日から12月16日までの180日間で調べてみた。ここでの検索ワードは「京アニ」、「事件」で、リツイートは除外している。なお、元となったデータは全ツイートからではなく、サンプリングされたものであることは、あらかじめご承知頂きたい。

上図はTwitter上で「京アニ」「事件」という言葉と一緒に語られた単語を視覚的に表した図(ワードクラウド)で、単語の大きさは出現頻度を表している。「公表」という単語が「容疑者」や「青葉」といった、事件に直接関わる情報と同じ程度の比重を占めていたことが分かるが、「公表」だけでは容疑者の氏名か被害者の氏名かは読み取れない。そこで、「京アニ」、「事件」、「公表」を検索ワードにして見てみよう。

すると、上図のように、「犠牲者」や「遺族」、「実名」、「身元」といった単語と関連性の高い検索ワードだと分かった。とすると、「公表」は実名報道に高い関連を持つと考えられるので、1枚目のワードクラウドでの比重を見れば、実名報道はTwitter上でも関心の高い話題であったと考えられる。
次に「京アニ」、「事件」、「公表」という単語について、そのツイート数の推移をみることにした(こちらも180日間をグラフ化している)。

上図から「京アニ」、「事件」、「公表」の3語を含めたツイートは、8月2日、8月20~21日、8月27~28日の3つの山があると分かる。8月2日は京都府警が犠牲者10名の実名を公表した日、8月20日は京都府内の報道12社が府警に対して犠牲者の実名公表を求める申し入れをしたことが報じられた日、そして8月27日は府警が残る25名の実名を報道した日だ。最も高い山が8月20~21日だったことからも、京都府内のマスコミによる実名公表の申し入れが、最もTwitter内の反応を引き起こしたと考えられる。
8月20日、21日に「京アニ」、「事件」、「公表」と併せてツイートされた単語を順位付けすると、ポジティブ・ネガティブを表す単語として、「無視」、「強引」が上位に来ていた。これはネガティブな評価だと見做すべきだろう。
事実、実名公表の申し入れは、ネットでの反発が強く、署名サイトのChange.orgでは、「京都アニメーション犠牲者の身元公表を求めません。」とする署名活動が始まっている。実際の実名公表そのものよりも、マスコミによる公表の申し入れの方が、Twitter上での反発を招いたという点は注目すべきではないかと思われる。
Twitter以外でも、人気YouTuberであるメンタリストDaiGoが8月27日の配信で、府警による公表後のマスコミによる報道を批判したが、この動画はDaiGoがアップロードした動画の中でも最も多い552万再生(12月21日現在)され、40:1の割合で高評価を受けており、この動画に反応して書かれたブログも多く見られた。
二者の論理に対するネットの反応
被害者側である京アニが実名公表を控えるよう事件当初から一貫して求め、その論理も「遺族に添いたい」が根底にあったのに対し、マスコミ側は実名公表を求める点ではほぼ一致しているものの、公表を必要とする論理に一貫性はなく、対照的になっている。
そして、ネット(Twitter)では、警察が犠牲者25名の実名を公表した時よりも、京都府内のマスコミによる実名公表の申し入れが行われた時の方が激しい反応を呼んでいる。いくつかの解釈ができるが、犠牲者の名前を暴こうとする行動そのものに対する反発、そして従来からのマスコミ不信が合わさったものではないだろうか。
ここまで、京アニ事件犠牲者の実名報道における、京アニ、マスコミの論理と、ネットの反応について整理してみた。後編では、今回は実名報道の必要性がなぜ訴えられ、どう批判されたかについてみていきたい。
◇この記事はYahoo!ニュースとの連携企画記事です。大きく報道される事件が発生するたび、氏名や顔写真の報道を巡って議論が過熱しています。なぜ、実名報道でメディアとユーザーは対立してしまうのか。考えるヒントとなる記事を不定期で連載します
「大喪の礼」7年前に極秘準備 昭和天皇逝去、弔問外交を想定 外務省記録
2019年12月29日
1989年2月24日に行われた昭和天皇の「大喪の礼」をめぐり、外務省がその7年前の82年、天皇逝去に向けた準備を始め、宮内庁と極秘に協議していたことが分かった。
ケネディ米大統領(国葬63年11月)、チトー・ユーゴスラビア大統領(同80年5月)らのケースを参考とすることにし、これらの葬儀を調査。「弔問外交」の展開を想定していた。外務省外交史料館がこのほど秘密指定を解除した「昭和天皇大喪の礼」に関する記録で明らかになった。
外務省儀典官室は83年2月15日の極秘文書で「陛下(昭和天皇)の崩御うんぬんは、事柄の性質上軽々に口にしたり、とり上げたりすべき問題ではないが、陛下は既に82歳に近いご年齢であるし、万一かかる事態が発生しても当省としてスムーズに対処できるように所要の準備を進めておくことは事務的には必要」と記した。
同文書によると、西田誠哉儀典長の指示で、82年秋ごろからごく少数の間で作業を開始。外務省出身の安倍勲式部官長らとともに、同年12月初めに勝山亮宮内庁審議官と協議を行った。
勝山氏はその際、「まだ具体的なことはほとんど決まっていない」とした上で、「前例を参考とした私見」と前置きし、陛下逝去の際には皇室典範の規定に基づき「大喪の礼」を行うとし、国葬になるとの見通しを示した。「大正天皇の時の例にならう」とも述べた。
同年12月8日作成の外務省文書では「宮内庁の方針が決定しない限り、準備不可能なもの」として「外国人参列者を受け入れるか否か」を挙げ、早期の方針決定を求めた。その上で決定すれば「弔問外交(対皇族、総理、外相らとのアポイントメント)の調整」が予定されると記した。
しかし、実際にはそれに先立つ82年6月、宮内庁は外務省に対し、在英、西ドイツ、フランス、ユーゴの各公館長宛てに、当該国元首の葬儀の内容について調査を依頼。外務省儀典官室では、英国のジョージ6世、スウェーデン国王、現職大統領で死去したケネディ、チトーの国葬を調査するとともに、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、大平正芳といった歴代首相の葬儀も参考にすることにした。
「天皇陛下崩御の際の体制」と題した儀典官室作成(83年4月12日)の文書では、80年7月にカーター米大統領や華国鋒中国首相らが参列した大平氏の内閣・自民党合同葬儀を参考に、外国要人の送迎、宿舎、警備など受け入れ体制を具体的に定めた。
実際の大喪の礼では、ブッシュ(父)米大統領ら164カ国の外国代表らが参列し、史上最大規模(当時)の葬儀となった。
河井克行・案里夫妻、2カ月姿見せず 支援者には電話「準備ができたらきちんと説明する」
2019年12月29日
自民党の河井克行氏(広島3区)と妻の河井案里氏(参院広島)が公の場で姿を見せなくなってから、間もなく2カ月となる。複数の支援者によると、克行氏の陣営が新春の恒例としてきた広島市内での政治資金パーティーの案内も、ことしは届いていない。「電話がかかってきた」との証言は増えているが、政治活動を本格的に再開する時期は見通せない。
「ことしはまだ、開催の案内はないねえ」。克行氏の自民党支部と後援会が開く政治資金パーティー「合同新年交歓会」に毎年、出席してきた支援者の一人は明かす。別の関係者は「他の国会議員からは届き始めている。克行氏からも例年なら、年末か年明け早々に届いていた。今回は中止だろうか」と気をもむ。
克行氏は初入閣から51日目の10月31日、法相を辞任した。7月の参院選広島選挙区(改選数2)で初当選した案里氏に、「政治とカネ」の問題が浮上したのが引き金だった。夫妻はその後、国会にも出席せず、公の場から姿を消している。
一方で夫妻は、地元の支援者や議員たちに電話をかけている。11月下旬に克行氏から着信があった安佐南区の男性は「ご迷惑を掛け申し訳ない。準備ができたらきちんと説明する」と言われたという。案里氏から電話があった安佐南区の男性も「調査がつけば報告する、と聞いた」と語る。
克行氏は2月に中区のホテルで開いた交歓会で、案里氏と共に「今年も引き続き力を与えてほしい」と呼び掛けていた。克行氏の後援会の伊藤仁会長は「間もなく年越しだが、いつ姿が見られるのかは分からない。時間がかかっても、きちんと説明してほしいという気持ちに変わりはない」と話す。
案里氏の「政治とカネ」の問題は、陣営が7月の参院選で法定上限を上回る報酬を車上運動員に渡したとされる。広島地検が公選法に違反した疑いもあるとみて、当時の車上運動員らから任意で事情を聴くなど捜査に着手したことが判明している。
不正診断の事故死疑い患者 「服薬支援成功例」と学会発表 大阪病院
2019年12月29日
結核治療の拠点施設「大阪病院」(大阪府寝屋川市)が、身寄りのない男性入院患者の死因を不正に肺結核と診断しながら、今年6月の日本結核病学会総会で服薬支援の成功例として発表していた。男性は2年前に入浴中の事故で亡くなった疑いがあるが、発表では死亡した事実を明かしていない。専門家から「非常識で医療モラルに欠ける」と批判が出ているが、病院は「男性に生前、同意を得たので問題ない」としている。
◇当時の副院長ら「患者に寄り添った支援」強調
同学会は年に1度、総会を開催。今年は6月上旬に大分市内で開かれ、各地の専門医や看護師らが研究成果などを報告した。
毎日新聞が入手した資料によると、大阪病院が発表した演題は「服薬困難患者への服薬支援方法の検討」。副院長や事故当時の看護部長、看護師長らが発表者に名を連ね、2017年10月に急死し、死因を不正に肺結核とされた堂園輝雄さん(当時72歳)の症例を「A氏」と匿名で取り上げていた。
病院側の発表内容によると、17年6月に入院した堂園さんには軽度の認知症状があった。治療を始めた当初、看護師が個別に抗結核薬の服薬を確認する支援を取り入れたが、嘔吐(おうと)が続き、堂園さんは服薬を頻繁に拒んだ。
薬への苦手意識など精神的な要因が考えられたため、他の結核患者とともに集団で服薬を促す支援に切り替えると、薬を飲めるようになったと学会で説明。「患者に寄り添った支援が服薬の意欲向上につながる」と成果を強調していた。
堂園さんの肺結核は回復傾向にあったが、病棟浴室の浴槽内で心肺停止の状態で発見され、翌日に死亡した。看護師の入浴支援の連携ミスによる事故死が疑われたが、医師が遺体を詳しく調べず、死因を肺結核と診断した。
◇「現場で適切に手続きしており、発表に問題はなかった」と主張
副院長や看護部長らは堂園さんが死亡した経緯を把握しながら、症例を学会で報告していた。病院側は、この発表が堂園さんの症例だと認めた上で「学会から17年に、服薬困難な患者の対応事例があれば報告してほしいと依頼された」と説明。昨年の学会報告に間に合わず、今年の発表になったという。発表資料は堂園さんが死亡した経緯なども記されたカルテを基に作られたが、死亡については触れなかった。
病院によると、学会発表への同意は、看護師長が堂園さんに口頭で確認した。病院の事務部長は「現場で適切に手続きしており、発表に問題はなかった」との認識を示したが、同意を巡る内部文書を残す必要はなく、堂園さんから承諾を得た時期は不明だという。
日本結核病学会の藤田明理事長は取材に「当学会は直接の当事者ではないためコメントする立場にはない」と書面で回答した。【近藤大介、遠藤浩二】
◇事故死疑い把握し「学会発表する姿勢は医療モラルに欠ける」
◇医療ガバナンス研究所の上昌広理事長
医療機関の危機管理に詳しいNPO法人「医療ガバナンス研究所」の上昌広理事長の話 患者が事故死した疑いを把握していたのに、学会で発表する姿勢は医療モラルに欠けている。学会で症例報告する場合、患者や遺族と信頼関係を築けているかが重要だ。大阪病院は患者から生前に同意を得たと言うが、死亡診断書が不正に作成されていた経緯などを考えると、同意の前提が崩れていたと言える。また、都合の悪い情報を隠したまま症例報告すれば、発表内容に疑念を持たれかねない。
ヒトラー最後の賭け「バルジの戦い」 生存兵が語る地上の
2019年12月29日
1944年12月、ドイツ軍は追い詰められていた。同年6月のノルマンディー上陸以降、連合軍はヨーロッパで快進撃を続け、ドイツ国境まであと一歩というところへ迫っていたが、その頃はもう何週間もヒトラーの軍と本格的な戦闘を交えていなかった。
ベルギーのアルデンヌの森で、仲間とともにいた米軍歩兵のクリス・カラワン氏は、道に迷ったと思われる2人のドイツ兵を捕らえた。そのうちのひとりは、ほぼ完璧な英語を話した。
「今すぐここを撤退した方が身のためだぞ」。そのドイツ人はカラワン氏に警告した。「お前らを海へ追い落とそうと準備中なんだ」
カラワン氏らはこの警告を上官に伝えたが、取り合ってもらえなかったという。負け犬が大きな口を叩いているだけだと、鼻で笑われた。国境の向こうの森で機械音が鳴り響いていたが、それは第三帝国(ナチス・ドイツ)が退却する音であり、ヒトラーはもう終わったと考えていたのだ。
そして迎えた12月16日の朝のこと。
「まず、強烈な迫撃砲弾の雨が降ってきました」。カラワン氏はそう振り返る。木々の向こうに隠されていた1900台の迫撃砲による猛攻撃が、90分間続いたという。
「第2次世界大戦のなかでも、最も激しい集中砲火だったと思います」と語るのは、75年前に起こったバルジの戦いを記録した『The Longest Winter(最も長い冬)』の著者アレックス・カーショウ氏だ。「大地を揺るがす、衝撃的な戦いでした」
今年94歳になったカラワン氏は、米サウスカロライナ州コロンビアにある自宅のソファーに座り、反対側に座る74歳の妻アルマさんへ向かって小さく微笑んだ。しかし、その時カラワン氏の目に映っていたのは、20歳のあの日に目にした光景だったのだろう。近代戦上、最大規模の激戦を前にして、若い兵士は恐怖に打ち震えていただろう。
「その次は、機関銃掃射の嵐です。ヒトラーの全軍が一斉に森から飛び出してきたように感じました」
「機関銃掃射の嵐」というカラワン氏の表現は、あながち間違いではない。森の向こうには、実際に40万人以上のドイツ兵と約1400台の戦車が潜んでいたからだ。ソビエト戦線が敗色濃厚となった当時、ヒトラーはアルデンヌで奇襲攻撃を仕掛けて連合軍を分断し、アントワープの港までの道を確保しようとする賭けに出たのだ。
港まで到達すれば、崖っぷちにあったドイツ軍にとって一番必要な物資が手に入る。事実、戦車の燃料が底を尽きかけていた。作戦がうまく行って連合軍を包囲できれば、ドイツに有利な平和条約が引き出せると考えていたのだ。
油断していた連合軍は、このとき戦闘準備がまるで整っていなかった。
「このときの西部戦線は、イギリス海峡からイタリアまで伸びる長いものでした。連合国側も人員から装備まで何もかも不足していたのです」と、カーショウ氏は言う。
前線の中央に配備されていた第106歩兵師団の2連隊は、あっという間に壊滅し、生き残った兵士は捕虜として捕らえられた。このとき捕虜となった兵士のなかには、若き日の作家カート・ヴォネガットもいる。当時の過酷な体験から生まれたのが、有名な『スローターハウス5』という小説だ。
1944年のヨーロッパは記録的な寒さに見舞われていた。戦闘は1カ月以上続き、悲しいほど物資が不足していて、連合国の兵士たちは冬用のコートも靴も与えられていなかった。夜ブーツを脱いでしまうと、翌朝には凍傷で足がむくんで膨れてブーツに入らなくなってしまうため、ブーツを履いて眠るのが日常だった。75年が経過した今も、バルジの戦いを経験した兵士の多くが凍傷の後遺症を患っている。
米ペンシルベニア州の炭田からそのまま戦争へ駆り出されたフランシス・チェスコ氏は、ノルマンディー上陸作戦の決行から24時間後にフランスへ到着した。そこからヨーロッパ北部へ移動し、気づいたときには、自分の部隊と一緒にアルデンヌ行きの列車に乗せられていた。
「休暇に連れて行ってくれるのかと思っていましたが、とんでもない勘違いでしたよ。列車を降りた途端、地獄が空から降ってきたのかと思いました。恐ろしい轟音で、頭のすぐ上で雷が鳴り響いているようでした」
ドイツ軍の圧倒的な軍事力、そして悪魔のようなずる賢さに舌を巻いたという。
「ドイツ軍は、連合軍の軍服を着たパラシュート部隊を投入しました。道路の標識を逆にするなどして、彼らが仕掛けた罠に我々を誘導しました。また十字路に立って、反対方向を指すこともあったのです。こうした工作には英語を完璧に話す敵軍兵士が参加していました。でも、さすがの彼らも、連合軍が使う合言葉は知りませんでした。『小さな』と呼び掛けて、相手が『孤児アニー』と答えられなければ、軍服が同じで上手に英語を話しても敵だと分かりました」
バーノン・ブラントリー氏(95歳)は、運転していたジープがドイツ軍の迫撃砲弾を受けたときのことを思い出していた。
「同乗していた3人は車を飛び降りましたが、私はひっくり返ったジープの下敷きになってしまいました。その時のことは全く記憶していないのですが、あとで聞いた話だと、口や耳、鼻など穴という穴から出血していたそうです」
ブラントリー氏は戦場病院に緊急搬送され、その後パリの病院に送られたが、数カ月後には元の部隊に戻っていた。
ブラントリー氏の旧友で、ともにバルジの戦いを戦ったジェラルド・ホワイト氏(93歳)は、18歳で戦場へ送られた。当時「まだひげも生えていませんでした」と話す。
「ジープを運転して、砲弾を積んだトレーラーを牽引していました。そこを攻撃されたら、ひとたまりもなかったでしょう。この任務に就くのは私が3人目だと言われましたが、前任者の2人がどうなったかは聞かされませんでした」
ジョー・ワトソン氏も、アルデンヌの田園地帯でジープを運転し、迫撃砲を運んでいた。運転する兵士は、敵の格好のターゲットだったという。
「迫撃砲を引いて道路を走っていると、すぐ後ろで敵の砲弾が次々に炸裂するんです。ドーン、ドーン、ドーン、というように、本当に映画の一場面のようでした」
「若い兵士が最高の兵士だと言われる理由はシンプルです。彼らは、自分が死ぬとはつゆほども思っていません。ですから、とんでもないことをやれと命令されても、『実行します』と答えて出ていくのです」
テレビが置かれた部屋で快適なソファーに収まったクリス・カラワン氏は、消え入りそうな声で言った。「仲間といるときは、感情的になりすぎるな、と言われます。でも、無理ですよ」
ある日、カラワン氏が親友のドイル・グリフィス氏と上官のハリー・ストーン氏と一緒に見通しのいい野原を歩いていると、突然ドイツ軍の戦車が火を噴いた。
「ドイルはもう少しで真っ二つに引き裂かれるところでした」と、振り返る。「倒れたドイルは、しきりに母親を呼んでいました。そこで私は『じっとしていろ』と命じて救急隊を呼びました。その後の経緯はわかりませんが、ドイルは助かりました。でも、上官は亡くなりました。上官はきっと、自分が何に撃たれたかも分かっていなかったと思います」
「なぜ私だけが戦車の攻撃をかいくぐることができたのか分かりません。でも、これだけは言えます。今朝、起きると、ハリー・ストーンのことを思い出しました。私は、こうして94歳まで生きることができました。バルジ戦で亡くなった多くが20代になったかならなかったかという若者でした。私は、彼らの分も人生を生きたのだと思うことがあります」
翌45年1月1日までに戦いの流れは変わったが、戦闘は1月24日まで続いた。この戦いで、米軍には1万9000人の死者が出ている。ドイツ軍は、連合軍の戦線を一部突破したものの、それ以上前進することはなかった。ナチスの勢いは、連合軍の反撃で失速し、アントワープで手に入れたかった物資を得ることもできず、最後の力を使い果たした。
バルジの戦いは、追い詰められて土壇場で巻き返しを狙ったヒトラーの最大の抵抗だったと、著者のカーショウ氏は語る。
「戦争とは、次に何が起こるのか予想ができないものです。でも、ナチスの作戦はリスクの高い賭けでした。賭けが成功するためには運が味方する必要もありましたが、結局ナチスの命運は尽きたのです」
そのマヨネーズ、本当に必要?「ストップ・マヨハラ党」旗揚げした芸大生「苦手な人の声に耳を傾けて」
2019年12月29日
今年9月、東京芸術大の学園祭である選挙ポスターに釘付けとなりました。そこには「ストップ・マヨハラ党 戸澤遥」とあります。そして、「そのマヨネーズ、本当に必要ですか?」と問いかけてきます。マヨネーズが特別好きではない私にも、その気迫が伝わってくる。。。どういうことなんだ……? 動揺を隠しきれないまま、「党首」の戸澤遥さんに真意を聞いてみることにしました。(朝日新聞記者・吉田貴司)
党首の戸澤遥さんは現在東京芸大のデザイン科2年生。ポスターについて伺うと、マヨネーズに関する幼少期のつらい経験について語り出しました。
――ストップ・マヨハラ党を立ち上げるきっかけは何ですか
幼いころから私はマヨネーズが苦手でした。そして、保育園に通ってた時のある日、昼食でゆで野菜が出て、そこにわーっとマヨネーズがかけられていました。どうしても食べられずに残していると、保育士さんの1人が「好き嫌いはしちゃダメですよ」って無理やり口に突っ込んできたんです。マヨがたっぷりかかったにんじんを。もう完全にトラウマになりました。
――そもそも、マヨハラって何ですか
マヨネーズは好きな人が圧倒的に多く、苦手な人は完全に少数派です。苦手だけれど少しくらいなら食べられるという人も多いです。私のような全く食べられない人にとって、「マヨは食べられて当たり前」という風潮そのものがハラスメントになるのです。「マヨという愛される食べ物が苦手であること」が私たちをマヨハラに導いて、生きづらさにつながってしまうのです。
――マヨネーズ苦手で困ることはどんなことですか
コンビニで買う時は裏の表示が見られますが、飲食店で食べるときには特に困ります。アレルギー物質の表示はあっても、マヨネーズは好き嫌いの範疇だから書いていないし。例えばサラダを頼むと、当たり前のように横にいるじゃないですか。横にいる分には良いんだけれど、全体にわーっとかかっているともう食べられない。
マヨネーズがペースト状である点も問題です。マヨは使い勝手がよく色んなメニューに隠し味などとして入れられますが、入っているとまわりの味を巻き込んできます。隠れマヨに結構遭遇するんですよ。それで食べられないでいると「戸澤、好き嫌い多くね?」っていわれる。でも、「マヨがなければ食べられるんだよ」っていうものばかりなんです。
――マヨネーズならではの問題も多いんですね
お好み焼きもたこ焼きもめちゃ好きなんですけれど、マヨは別になくてもいい。確かにビジュアル的には黒塗りのソースに白いマヨがあったほうがきれいだけれど、私は漆黒の大地の方がいい。でもかけるのが当たり前だったりするからかけないでくださいと言うと、店員さんが「えっ!かけないんですか!」って思いも寄らない表情をされたり、「わかりました、かけないんですね」と言ったのに、習慣でかけちゃって出てきたりすることもあります。
紅白歌合戦が出演者を“さみだれ式”に発表するようになった理由
2019年12月29日
連日、大みそかの「第70回NHK紅白歌合戦」に関するニュースが流されていることに、お気付きでしょうか。その大半を占めているのは追加出演者の発表です。
11月14日の出場歌手発表後、22日に竹内まりやさん(「いのちの歌」)、25日にRADWIMPS(「天気の子 紅白スペシャル」)、12月11日に映画「アナと雪の女王2」の中元みずきさん(「イントゥ・ジ・アンノウン~心のままに」)、映画「トイ・ストーリー4」のダイヤモンド☆ユカイさん(「君はともだち」)、映画「アラジン」の中村倫也さん&木下晴香さん(「ホール・ニュー・ワールド」)、15日にYOSHIKI feat. KISS<YOSHIKISS>(曲未定)、19日に松任谷由実さん(「ノーサイド」、ラグビー日本代表選手も出演)、20日にビートたけしさん(「浅草キッド」)、24日にSixTONES、Snow Man率いるジャニーズJr.(「LET’S GO TO EARTH」「Let’s Go to Tokyo」)と、次々に追加出演者が発表されています。
これは今年に限った話ではなく、昨年も北島三郎さん、サザンオールスターズ、松任谷由実さん、米津玄師さんらが11月の出演者発表後、「追加出演者が決定」というニュースとして報じられました。
なぜ、近年の「紅白歌合戦」は一度にまとめてではなく、さみだれ式に出演者を発表しているのでしょうか。
制作者と出演者への取材を進めていくと、「PR」「大物交渉」という2つの理由が浮かび上がってきます。
まず、テレビ番組の「PR」をする際のさみだれ式は極めてオーソドックスな方法。単発の特番だけでなく連ドラなども、情報をさみだれ式に出して繰り返し目にしてもらうことで印象付け、期待感を徐々に高めていくことができます。
もともと、「紅白歌合戦」は「出演者の発表から放送まで1カ月以上時間が空き、その間の話題作りが難しい」と言われ、29日から31日にかけて行われる「リハーサルしか十分なPRができない」とされていました。
また、ウェブメディアの環境が大きく変わったことも、さみだれ式のPRを後押ししています。2010年代に入って「オトナンサー」のようなウェブ専門メディアが増えただけでなく、雑誌や新聞などの各媒体がウェブメディアを運営し、連日多くの記事を配信するようになりました。
そのため、「紅白歌合戦」のようなバリューのある番組が「出演者の追加発表」などのニュースを流すと、数十ものウェブメディアが記事を配信することになり、さらにそれがSNSで拡散されることで、多くの人々に知ってもらえるのです。
そんなウェブメディアの記事が「紅白歌合戦」にとって重要なもう一つの理由は、若年層にリーチできること。近年、「紅白歌合戦」はメインとなる中高年層に加えて、「若年層の視聴者をどう集めるか」が重視されていますし、それがうまくいけば視聴率の低下を防ぐことにつながります。