給食牛乳は「直飲み」する時代へ!脱脂粉乳からはじまった“給食牛乳”の独自の進化に迫った
2022年06月06日
昨年末や今年の3月、牛乳廃棄が問題になり「牛乳を飲もう」というキャンペーンが全国で広がりました。いずれも学校が休みに入る時期と重なっており、「給食牛乳」が牛乳消費に大きく影響していることに気づいた人も多いのではないでしょうか。今回はそんな給食牛乳の歴史を振り返ります。話を伺ったのは、学校給食研究改善協会の村上松二さんと、学校給食栄養士としてメディアなどでも多く活躍している松丸奨さん。脱脂粉乳から牛乳へと切り替わった背景と、今の給食牛乳事情について話を聞きました。
「脱脂粉乳」の時代を振り返る

昭和30年の献立には脱脂粉乳がついている(提供:独立行政法人日本スポーツ振興センター)
給食牛乳の歴史を辿ると、その始まりは昭和21(1946)年まで遡ります。60代以上のほとんどの人が経験したであろう「脱脂粉乳」が始まったのが、ちょうどそのころでした。 戦後の給食の献立といえば、脱脂粉乳とコッペパンの組み合わせがほとんど。なぜ脱脂粉乳が飲まれていたのかというと、第二次世界大戦後の食糧不足の日本に、アメリカの民間団体から救援物資「ララ物資」で提供されたことが大きな要因のひとつといわれています。さらに、子どもの成長に必要なカルシウムやタンパク質をしっかり摂取できることから、全国で飲まれていました。 そんな栄養価の高い脱脂粉乳ですが次第に学校給食から消え、牛乳に切り替わっていきました。学校給食研究改善協会の村上さんが当時の様子について振り返ります。
「栄養価も高く、長期保存のできる脱脂粉乳は、当時の学校給食に欠かせない食材でした。しかし、鼻をつまんで飲んでいた子どももいたほど匂いがきつく、正直あまりおいしいものでありませんでした。しかも、脱脂粉乳はお湯に溶かして飲むため、アルミ製のアルマイト容器では熱くて持ちにくい。かといって冷ますと表面に膜が張って上手く飲めない。この膜が厄介でした。生徒の中には脱脂粉乳が好きという子もいましたが、私は苦手でしたね」(村上さん) その後、昭和33(1958)年頃には国で牛乳が安定して供給されるようになり、文部科学省より『学校給食用牛乳取扱要領』が通知され、一部の地域の学校給食に国産の牛乳が配給されるようになりました。昭和39(1964)年には年間を通して国産牛乳を提供することが決まり、それが今の時代にも続いています。
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