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2019年06月19日
18日夜に発生した山形沖地震を受け、JR東日本は19日早朝から羽越線の運休区間の点検作業を始めた。山形県鶴岡市三瀬地区のJR三瀬駅では、ホームの一部が崩落して線路側に傾き、列車と接触する危険性があり、架線にもずれが見られるという。
JR東日本ビルテック酒田事業所の高橋久志所長は「点検を行い、運行が可能か、安全かどうかを確認していきたい」としたが、ホームが落ちているため、運休は当面続く可能性が高いとの見方を示した。
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2019年06月19日
「考えることがたくさんあってほとんど眠れなかった」。山形県沖を震源とし、新潟県村上市で震度6強を観測した地震で19日早朝、避難所から自宅に戻った同市府屋の自営業、諸橋隆一さん(62)は疲れた様子でこう話した。
眠れないまま19日午前4時ごろに帰宅。家に入ると2階を中心に家の中はめちゃくちゃになっており、倒れた棚からビデオテープが散乱していた。諸橋さんは「ここまでの被害は初めて。まずは片付けないと」と冷静に語った。
会社員の磯部真理子さん(44)は、中学2年の息子と食事中に被災した。揺れや津波への不安でなかなか眠ることができず、「息子も気持ちがたかぶっているのか眠れなかったみたい」と話す。
18日午後11時に避難所に着き、息子が寝入ったのは19日午前1時ごろだった。19日は自宅に帰って片付けが待っている。自宅を出る前、台所の高さ約180センチの食器棚が倒れて中の食器が割れている様子や、クローゼットの中の収納ボックスが飛び出しているのが確認できた。「職場もどうなっているか…」。磯部さんの不安は尽きない。
「下越地方」と呼ばれる新潟県北部だが、昭和39年にも「新潟地震」が発生した。新潟地方気象台によると、最大震度は5だったが、被害は他県にも及び、死者26人、1960戸が全壊した。当時の記憶がある自営業の佐藤富昭さん(75)は寝ていたところを揺れでたたき起こされた。佐藤さんは「強烈な横揺れで、新潟地震よりも大きかった」と驚き、「仏壇はめちゃくちゃ。大事にしていた皿も割れてしまった。また揺れるかと思うときょうも眠れるかどうか」と不安をのぞかせた。
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2019年06月19日
「こんなに大きな地震を人生で何度も経験するなんて」。18日夜に震度6強を観測した新潟県村上市。横田リキさん(81)は、55年前の昭和39年にも新潟地震を経験したといい、疲れ切った声を出した。
横田さんは足腰が悪く、歩くときには手押し車の補助が欠かせない。村上市内の自宅近くの市立岩船中に避難する際は娘が手助けしてくれたが、「津波から逃げ切れるか、すごく怖かった」と振り返った。
体育館には約200人が集まり、幼い子どもを連れた家族や寝間着のまま逃げ込んだ人もいた。お年寄りが段差を昇る時には、近くの人が手を貸したり、住民同士で無事を確認し合ったりする場面もあった。
東日本大震災では車で避難した人が渋滞中に津波にのみ込まれたが、学校の周囲にも住民らの車が所狭しと並んだ。不安の中で情報が入り乱れ、「津波警報解除はまだか」といらだつ声を上げる住民もいた。
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2019年06月19日
山形県鶴岡市によると、新潟で最大震度6強を観測した地震で、市内の4カ所で液状化の被害が発生した。
市道が陥没したり、駐車中の車が動けなくなったりする被害が生じたという。
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2019年06月18日
北京=小川直樹】中国通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)創業者の任正非レンジョンフェイ最高経営責任者(CEO)は17日、米政府が米企業にファーウェイとの取引を禁止した影響について、「今後2年間で、売り上げが予想より300億ドル(約3兆3000億円)減少する」との見通しを示した。
中国南部・深センで17日開いた有識者との討論会で明らかにした。米国の取引禁止措置に対する影響について、同社が具体的な数字で説明したのは初めてだ。
同社によると、2018年12月期決算の売上高は前期比19・5%増の1052億ドル(約11兆4000億円)。19年1〜3月期の売上高も、前年同期比39%増となるなど今期も大幅な増収を見込んでいた。
任氏は討論会で、米国による取引禁止措置を受け、19年と20年は製品の生産を減らすとし、「売上高は1000億ドル前後」にとどまると説明した。
米商務省は5月、同社とその関連会社を安全保障上の懸念がある輸出禁止リストに入れ、米企業との取引を禁止した。同社は当初、基幹部品を作る半導体子会社を持ち、部品の在庫もあることから影響は限定的だと説明してきた。
しかし、米グーグルが一部ソフトの供給停止を示唆し、日本の通信各社などがファーウェイ製のスマートフォンの発売延期を決めるなど、世界で「ファーウェイ外し」の動きが広がった。任氏は討論会で、海外のスマホ販売が30〜40%減ったとする一部メディアの報道を認めた。
同社幹部は、グーグルのスマホ向け基本ソフト(OS)に代わる独自OSの投入準備を進めるなど、様々な対策に着手していることを明らかにしている。任氏は討論会で「ファーウェイの歩みを止めることはできない」と強気に語った。
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2019年06月18日
大阪府にあるセブン-イレブンのフランチャイズ店のオーナーが、人手不足などの理由から本部に無断で時短営業に踏み切った騒動。当初、セブン-イレブン本部は難色を示したが、それもそのはずで、双方の言い分にはそれぞれ一理あり、かつ大きな隔たりがあるのだ。(清談社 岡田光雄)
日本・韓国は変革期に
各国で異なる営業時間
事の発端は今年2月、セブン-イレブン南上小阪店のオーナーが、営業時間を24時間から19時間に短縮したことで、本部からフランチャイズ(以下FC)契約違反を理由に1700万円の請求とFC解約を求められたことだ。
違約金についてはFCの契約書にも記載されているため、本部としては、この請求はある意味当然だろう。しかし、現実的には人手不足に悩む店舗のオーナーが長時間労働を強いられることは避けられず、世論からは同情の声も上がっている。
こうした事態を受け、セブン-イレブンをはじめとするコンビニ各社は、24時間営業の見直しなどを柱とする行動計画をまとめているが、具体的にどうなるかは不透明なままだ。
そして実は、こうしたコンビニの営業時間をめぐる問題は日本に限った話ではないのだという。日本フランチャイズ総合研究所社長の内川昭比古氏は、海外のコンビニ事情についてこう解説する。
「アジアでは基本的に24時間営業のコンビニが多く、その中でも一番コンビニ文化が発展している国が日本、その次が台湾、韓国という順番です。しかし、韓国のコンビニ各店の平均売り上げは日本の半分程度しかなく、最低賃金が上昇したこともあり、韓国でも24時間営業を見直す動きもあるようです」
日本は人手不足、韓国では売り上げ不振と事情は異なるが、24時間営業を見直す機運が高まっているのだ。一方、ヨーロッパでは24時間営業のコンビニを見かけることはほとんどないという。
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2019年06月18日
不法滞在者を一網打尽にしたいと、入管から要請されて、ベトナム人を採用したら、自分まで逮捕された――。
技能実習先から逃げ出したベトナム人の不法就労を手助けしたとして、兵庫県の人材派遣会社社長が6月3日、出入国管理法違反(不法就労助長)の疑いで県警に逮捕された。この事件で、社長側がこのように主張しているのだ。
もし、入管からの要請が本当にあったとしたら、違法な「おとり捜査」にあたるのではないだろうか。
●不法在留状態になっていたベトナム人7人を県内の工場に派遣した疑い
兵庫県警組織犯罪対策課によると、逮捕されたのは、兵庫県尼崎市の人材派遣会社社長、ソニンバヤル(通称:五十嵐一)さんら、中国籍の2人だ。
逮捕容疑は、2018年4月〜9月、不法在留状態になっていたベトナム人7人を兵庫県内の携帯電話の部品製造工場に派遣していたというもの。
しかし、社長の弁護人が6月4日、兵庫県内で記者会見を開いて「社長の行為は違法性がない」「逮捕は不当だ」と訴えた。逮捕から2日後の6月5日、社長は釈放された。
●「しかるべきタイミングで一網打尽にしたい、と要請があった」
社長側が主張する事件のあらましはこうだ。
2018年6月初旬ごろ、ベトナム人10人が、社長が経営する人材派遣会社に応募してきた。あまりに人数が多く、いずれも「定住者」の在留カードを持っていたため、社長は不審に感じた。
そこで、ベトナム人たちの在留カードのコピーを大阪入国管理局に提出して、調べてもらうことにした。すると、在留カードはすべて偽造であることがわかった。
その際、入管の担当者が「応募を断っても他社に就職するだけで、違法行為の根絶につながらない」「しかるべきタイミングで一網打尽にしたい」として、積極的に採用するよう要請してきた。追加採用で、ベトナム人は31人になっていた。
その後も、社長らは入管側と打ち合わせ繰り返して、2018年9月、ベトナム人をマイクロバスとワゴン車に乗せて工場に運ぶとき、県警の検問に偶然あったことを装って、31人全員を逮捕させた。
●入管「一般論として、そんな指示することはない」
大阪出入国在留管理局の広報担当者は、弁護士ドットコムニュースの取材に、一般論と断ったうえで、「入管当局としては不法就労の事実が明らかな外国人について、雇用を継続するよう指示することはない」とコメントした。
だが、もし今回の事件の経緯が、社長側が主張するようなものだったとすると、「おとり捜査」にあたるようにも思える。外国人の労働問題にくわしい指宿昭一弁護士に聞いた。
●指宿弁護士「もし本当なら、おとり捜査にあたる」
「入管が不法就労を継続するように指示したとすれば、『おとり捜査』にあたります。しかも、積極的に犯罪行為をおこなうことを指示しており、捜査方法として不適法であると思います。
捜査機関が働きかけて、犯罪をおこなわせる『犯意誘発型』のおとり捜査を適法とした最高裁判例はありますが、今回のようなケースまでもが許されるとは思いません。
また、不法就労を取り締まるべき入管が不法就労を生み出しているのであり、これを指示した入管職員には不法就労助長罪が成立すると思います。
さらに、捜査協力者である人材派遣会社社長を逮捕してしまったことは、ずさんとしか言いようがありません。今後、経営者たちは、入管からこのようなおとり捜査への協力を求められても、絶対に応じないほうがいいと思います」
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2019年06月18日
職場でヒールのある靴を強制しないでと訴える「#KuToo」運動が話題になっています。
女性約2000人の登録がある弁護士ドットコムのLINE公式アカウントで、ヒールの高い靴やパンプスを履くよう強制されたり、決まりになっていると言われたりした経験があるか尋ねたところ、「フラットはNGな雰囲気」「礼儀だからと言われている」といった声が寄せられました。
●「外部の目を気にしているのかも」
最も多かったのは、接客業をしている女性からの声です。スポーツジムのフロントで働く女性は、強制とは言われないものの、靴は黒のパンプスを指定されているそう。
「ヒールの高さの指定はないですが3〜5センチが理想だと言っていました。『上品、清潔』なイメージで身なりを整えると言われています。他の靴を履いている人は居ないので、強制でなくても他のものは選べません」
3カ月限定で百貨店の中の洋菓子店で短期アルバイトをした20代女性は、基本的にショーケース越しの接客でしたが、ヒールの指定がありました。
「ヒールの高さには細かく指定があり、勤めていたお店の研修の際に靴を持っていきチェックされました。ウェッジヒールやストラップが付いているものはダメでした。8時間立ちっぱなしの仕事でヒールを履くのは、きつかったです」
数年前まで市の公共施設で案内をしていた40代女性は「パンプス強制でしたが、規則ではなくマナーとしてでした。男性上司は『女性は大変だなぁ』という認識、むしろ女性上司のほうが『痛くても笑顔が当たり前』という環境でした」と振り返ります。
●「足は痛いし最悪でした」
「いい面もあると思いますが、それを強要されるというのは嫌」。そう話すのは、東京都内の高級メガネ店で働く30代女性です。
「選択肢はパンプスしかなく、通勤時はローヒールを履き、職場のロッカーに仕事用として置いておきました。ミュールを履いていたら『つっかけ靴なんて履くな』と怒られました。ヒールがあってもブーツは禁止でした。
私の場合、高級店だったので『お客様に合わせた服装じゃないとダメ』と納得しました。数十万円のメガネを買いに来る人が、店員がカジュアル服ではそりゃ不満だろうと自分でも納得して入社しました。
ですが、実際に働いていると、立っていることが多いので、足は痛いし最悪でした。色々試しましたが牛革の靴で少し太めのヒール6〜7センチが安定して1番楽でした。
ヒールはスタイルを良く見せてくれるし、履くと気持ちも背筋もシャキッとします。ヒールが好きっていう女性もいれば、苦手って女性もいると思います。選択の自由が欲しいです」
●「全社的な決まり」
自身は対面で接客することはないものの、全社的な決まりでパンプスが強制されていると話す人もいました。
「私の部署はコールセンターなので、お客さんと対面で接客することはありません。ですが、店頭に立つ人や営業職などと統一ルールのため、お客様には見えないところですが、パンプス強制です
以前は黒のナースシューズもOKでしたが、今はパンプスのみです。しかもかかとが開いていて留める『バックストラップ』や指先が開いている『オープントゥ』は禁止です。
パンプスの色も黒で、高さは5センチ以下と決まっています。守っていない人もいます。」(熊本市在住、40代、旅行会社)
●「礼儀だから」
「外部の目を気にしているのかもしれません」と見るのは、名古屋市在住、30代、電気通信会社事務系の女性です。オフィス勤務ですが、パンプスを履くよう言われていました。
「社内では『礼儀だから』と言われています。ヒールの高さは言われていないですが、なんとなくフラットシューズはNGな雰囲気があります。私がいるのは役員クラスがいるフロアなので、それに伴い来客が多いというのはあるかもしれません。外部からの来客があまりない部署はクロックスを許可しているみたいです」
●就職活動で痛い思い
就職活動中の女子学生も、足を痛めていました。もともとスーツには革靴を合わせるものと思っていたそうですが、リクルートスーツを買いに行った紳士服店で初めてパンプスを履くことを知りました。
「リクルートスーツを選びに行った時『女性はパンプスだよ』と言われ、目の前にあった黒いパンプスの中から選びました。
窮屈なパンプスを一日中履き、場合によっては、かかとから血が出ることを承知で歩き続けなければならない理由がわかりません。
大規模な合同企業説明会では、一日中歩きまわりました。足の痛みのせいで集中できないなんてことも少なくありません。就職活動で痛い思いをする人がいなくなる時代が来てほしいです」
●CA「本来ならスニーカーでやる仕事」
航空関連会社で働いた人からの声も複数寄せられました。
CAをしている女性は「パンプスを履く予想はついていました」といいますが、「ハードワークすぎるので、本来ならスニーカーでやるお仕事だと思います」と言います。
以前は4センチと6センチの2種類のヒール靴が貸与され、上空では低い方を履くルールになっていたそうです。「足に良さそうな靴はNG。そんなものを履こうものなら、身だしなみチェックでひっかかります」
家族が「パンプス必須」の空港ファーストクラス用ラウンジでアルバイトをしていたという女性は、理由の説明や記載はなかったと言います。
「国際線のラウンジのためか、制服が合う事、ヒール要、語学力、若いことなどが条件でした。足が痛くなり、効率が悪くても我慢。見栄えもおもてなしなのかと改めて思いました」
みなさんの会社で、仕事で履く靴に関して、会社で規則はありますか。コメント欄で意見をお寄せください。
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2019年06月18日
金融庁が、4月12日に開かれた金融審議会の市場ワーキング・グループに「夫婦で老後の30年間に1500万~3千万円が必要」との独自試算を提示していたことが18日、分かった。2千万円の蓄えが必要とした金融審の報告書とは異なる内容で、報告書の金額よりも多い可能性があると認識していたことになる。
麻生太郎金融担当相は18日の閣議後の記者会見で独自試算について「(報告書取りまとめの)途中経過を拾い出してきた話だ。個人に必要な資産形成額を一律に示したものではない」と釈明した。麻生氏はこれまで「(報告書が)政策遂行の参考になることはない」と説明していた。
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2019年06月18日
1928年5月21日、西アフリカのアクラ(現在のガーナの首都)で、アメリカのロックフェラー医学研究所から当地に赴任していた細菌学者の野口英世が51歳で死去した。いまから91年前のきょうのできごとである。野口はアフリカに黄熱病の研究のため赴いたが、自らも感染して命を落とした。
北里の伝染病研究所に在籍していた野口
野口英世は2004年より千円札にその肖像が使われてきた。先ごろ、現行紙幣のデザインが2024年をめどに一新されることが発表され、千円札の肖像は野口から、同じく細菌学者の北里柴三郎に変更されることになった。野口は20代前半の数年間、北里が所長を務めていた伝染病研究所に在籍している。それだけに今回の千円札の肖像変更は、弟子から師匠へのバトンタッチともいえる。
1928年の5月21日に英領ゴールド・コースト(現ガーナ)で黄熱病のため死去した野口英世 ©AFLO
野口は1898年に順天堂医院から伝染病研究所に移り、見習格という下級助手の身分ながら13円もの破格の月給を得ることになった(※1)。翌99年にジョンズ・ホプキンス大学の病理学教授サイモン・フレクスナーが来日したときには、北里から通訳・案内役を任されている。
とはいえ、伝染病研究所は野口にとってけっして居心地のいい場所ではなかったようだ。福島県の貧しい農家に生まれ育った彼は、大学や医学校で学ぶことはかなわず、高等小学校卒業後、地元の医院などで修業しながら苦学して開業医試験に合格した。これに対し、伝染病研究所の所員の多くは東京帝国大学出身だった。そのため、学閥の壁に阻まれることもしばしばだった。さらにフレクスナー来日の直後には、野口が図書室の高価な医学書を友人に貸したところ売却されるという事件が発覚する。このため所内では、浪費家の野口が金に困って自分で売ったのではないかとの噂も立つ。濡れ衣だが、野口が日頃の不満から遊蕩癖があったのは事実だった。すっかり仕事を干された野口を、北里は横浜の海港検疫所に出向させる。
日本を飛び出した弟子を讃えた北里
野口は横浜で、入港した船からペストらしき患者を発見した。それが評価され、清国でペストが発生すると、伝染病研究所が派遣した医師団への参加を北里から命じられる。この清国滞在中、野口は欧米人医師団に伍して働き、国際人として生きていく自信をつけた。派遣団に参加した時点ですでに検疫所をやめていた彼は、帰国しても伝染病研究所に戻ることなく、渡米の準備を進め、翌1900年には日本を離れた。アメリカに着くとすぐ、研究所時代に会ったフレクスナー(当時ペンシルベニア大教授)のもとへ押しかけ、懇願して助手につけてもらった。
それから15年後の1915年、フレクスナーが研究部長となったロックフェラー医学研究所で数々の業績をあげていた野口は、学士院賞恩賜賞の受賞をきっかけに久々に帰国する。そのとき北里は、《野口君が今日あるのは朋友相排し圧迫と猜疑をもって迫害を加える日本と違って、才能をのばす大研究所で仕事ができたからである》と、学閥が支配する日本を飛び出して成功したかつての弟子を讃えた(※2)。北里は、母校である東京帝大から長らく冷遇され、1914年には伝染病研究所が内務省から文部省に移管される(のちに東大付属となる)のに反対して辞職、私財をなげうって北里研究所を設立していた。野口への賛辞には、東大と対決姿勢をとる北里の心情もうかがえる。
1931年に78歳で亡くなった北里柴三郎 ©時事通信社
なぜ野口はノーベル賞を獲れなかったのか
野口英世は、ノーベル生理学医学賞にもたびたびノミネートされている。初めて同賞候補として推薦リストに名前が出たのは1913年、以来9回にわたって、のべ24人の世界の第一級の研究者から推薦を受けたことがわかっている。1914年、15年、20年には最終選考にまで残り、とくに1915年は受賞の可能性がもっとも高かったともいわれる(※3)。だが、結局、この年から1918年までの4年間、ノーベル生理学医学賞は第一次世界大戦を理由に「該当者なし」となる。
ただし、スウェーデンのウイルス学者で、1973年から約20年間ノーベル生理学医学賞の選考にも携わったアーリング・ノルビがノーベル文書館所蔵の公開記録文書を調べたところ、ノーベル賞の選考委員は、野口について精査の末、賞を授与しなかったことがわかったという。ノルビによれば、1914年と1915年には、カロリンスカ研究所の病理学教授カール・スンドベリが、フレクスナーと野口両者の研究を詳細に調査して検討したものの、賞にふさわしいとは見なされなかった。さらに10年後の1925年、野口が8人から推薦を受けたため、ノーベル委員会は法医学教授グンナル・ヘドレンに新たに徹底的な調査を行わせたが、《幸いなことにヘドレンもノーベル委員会も、自分の仮説を熱心に説く野口に惑わされなかった》という(※4)。
1913年、フランスの「イリュストラシオン」紙の取材を受ける野口英世 ©getty
そもそも野口の研究には、梅毒スピロヘータ(梅毒の病原体となる細菌)の脳内存在の確認など現在も大きな業績として認められるものがある一方で、実験で発見したものには追試できないことがのちに発覚し、否定されたものも少なくない。彼が罹患して命を落とすことになった黄熱病の研究もその一つである。
「尊敬する人物は福沢諭吉である」
野口は1918年、南米エクアドルにおける黄熱病の流行を受け、ロックフェラー財団(ロックフェラー研究所とは独立した組織)の調査団に参加、翌年、レプトスピラ(細菌類スピロヘータ科の一属)を黄熱病の病原体として発表していた。だが、1927年夏、ロックフェラー財団が西アフリカのナイジェリアに設置した実験所で、イギリス人研究者エイドリアン・ストークスらが、黄熱病患者から採取した物質でサルを感染させることに成功、ここから黄熱病が細菌よりも微小な病原体(ウイルス)によるものであることが確認される。
それでもレプトスピラが黄熱病の原因だと信じていた野口は、自説を証明すべく1927年11月、ロックフェラー財団の実験所の出張所のあるアクラに赴いたのだった。その直前の9月には、先述の実験に成功したストークスが黄熱病で亡くなっていた。野口はストークスに続く殉職者となり、野口を検死解剖した実験所の所長のW.A.ヤングもまた黄熱病のため、直後の5月29日に死亡している。
思うような成果が得られないまま、病床に就いた野口は、亡くなる8日前、見舞いに訪れたヤングに「君は大丈夫か?」と訊ねた。ヤングが「大丈夫です」と答えると、野口は「どうもぼくにはわからない」とつぶやいたという。それが彼の最後の言葉となった(※5)。
野口は生前、アメリカを訪れた若い日本人に、自分の尊敬する人物は福沢諭吉であると話したことがあったという。福沢は、北里柴三郎が伝染病研究所を設置するにあたり出資している。科学史家の中山茂はここから、《彼は北里のスポンサーになって伝染病研究所をつくった福沢の功績を買い、自分にも福沢のような学問の理解者が日本にあらわれて研究所を作って日本によびもどしてくれたら、という直接的な願望を持ったであろう》と推察する(※5)。もし、野口が長命を保ったとして、日本に戻り、北里のように母国で多くの後身を育てる将来もあったのだろうか。
2024年度に刷新される予定の千円札(財務省HPより)
現在の千円札(財務省HPより)
※1 星亮一『野口英世 波乱の生涯』(三修社)
※2 長木大三『北里柴三郎とその一門』(慶應通信)
※3 馬場錬成『ノーベル賞の100年 自然科学三賞でたどる科学史[増補版]』(中公新書)
※4 アーリング・ノルビ『ノーベル賞はこうして決まる 選考者が語る自然科学三賞の真実』(千葉喜久枝訳、創元社)
※5 中山茂『野口英世』(岩波書店・同時代ライブラリー)