19歳で戦死、紫電改パイロットの思いとは…胸ポケットに1枚の写真
2019年08月14日
太平洋戦争の終戦からこの夏で74年。戦火を生き抜いた人の多くが鬼籍に入り、当時の体験を語れる人は極めて少なくなった。昨年から大分県竹田市の山中で、旧日本海軍の戦闘機「紫電改」の遺物とみられるガラスや鉄の破片約60点が相次いで発見されている。
【写真】米国のスミソニアン航空宇宙博物館に展示されている旧日本海軍の戦闘機「紫電改」
この機のパイロットで、1945年5月5日に19歳で戦死した粕谷欣三さん=埼玉県入間郡三ヶ島村(現所沢市)出身=はどんな思いでこの機に乗り込み、戦場に向かったのか―。彼が所属した旧日本海軍の部隊「第343航空隊」の元隊員らの証言や関係資料から、若くして命を散らした一人の青年の思いに迫った。
粕谷さんは、海軍が設けたパイロットの養成機関、飛行予科練習生(予科練)出身。
海軍の兵士が軍服姿で帰省し、故郷の学校を訪れると、軍国教育を受けてきた子どもたちたちは羨望の眼差しを向けた。そうして、多くの少年が予科練を志願し、試験や身体検査、面接を受けた。競争率は70倍以上に達することもあり、合格者は「学校でも近所でも鼻高々だった」という。召集令状を受けて不本意ながらも兵役に就いた人とは随分と異なる心情だったとみられる。
粕谷さんは予科練の「特乙1期生」だった。この期は、昭和18(1943)年4月に1585人が二等飛行兵として岩国海軍航空隊に入隊している。
当時、戦況は既に緊迫していた。同じ4月に日本海軍の連合艦隊司令長官の山本五十六元帥が戦死。翌月にはアリューシャン列島のアッツ島で日本軍が全滅するなど、情勢は徐々に悪化していた。
「とても勝ちよる風ではない…」。当時、早稲田大の研究所に勤め、戦闘機の翼などに使うジュラルミンの研究をしていた三宅清隆さん(94)=熊本県=は腹の中で思ったという。どういうルートで入手したのか今となっては不明だが、大学で米国の戦闘機の図面を見て、米国の兵器の優秀さを実感もしていた。戦争に負けるという危機感を覚えながら、三宅さんは後に予科練に入隊した。
現代なら、旗色が悪くなった時点で日本は敗北宣言をするべきだったという考え方もできるが、当時の若者には「この戦争に勝たなければ、日本はどんな目に遭うか分からない」という危機感があった。三宅さんと同じ年頃の粕谷さんにも共通した思いだったはずだ。
予科練は当初、3年間の教育と、1年間の飛行戦技訓練を課していたが、粕谷さんが所属した「特乙1期生」は10カ月~1年2カ月の短期教育だけで戦線に配置された。戦いが激しさを増す中でベテランが次々と命を落とし、十分な経験を積まないままのパイロットが実戦に投入されていった。「一人前になるには1000時間の飛行が必要だが、300時間で出されていた」と三宅さんは語る。
そのころ、日本が海外に向けて築いた防衛線が次々と突破され、本土にも米軍機が襲来する事態となっていた。そこで海軍参謀だった源田実大佐が司令に着任し、44年12月に編成されたのが「343航空隊」だった。
源田氏は隊誌の中で、当時の思いをこうつづっている。「主役の海軍が、海上航空戦で圧倒されているが故に今日の敗退がある」「精強無比な戦闘機を作り上げて、往時のごとく片端から敵機を射落とし、敵に脅威となる部隊を持つ」
通称、剣部隊。主に三つの飛行隊と、一つの偵察隊で構成され、愛媛県の松山基地を拠点とした。パイロットは歴戦のエースを軸に集められ、部隊にあてがわれた戦闘機が、新たに開発された紫電改だった。時速は零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を30キロ近く上回る約600キロという高速性を誇り、揚力を増大させる可動翼片が自動的に出入りして小回りが効く「自動空戦フラップ」も備えた機体は、操縦者も製造者もうならせたという。
士気高揚のため、三つの飛行隊はそれぞれ「新選組」「天誅組」「維新組」、偵察隊は「騎兵隊」と呼ばれた。
パイロットたちはどんな思いで闘っていたのか。その一端が、45年3月19日の大空中戦にみてとれる。
事前に敵機の襲来をキャッチし、偵察機がその存在を確かめると、紫電改など50機余りが、夜が明け始めた松山上空の高度5000メートルに待機。その約1000メートル下に敵の戦闘機が飛来したのを見極め、攻撃を始めた。米国の戦闘機グラマンF6Fなどを次々と撃墜。敵機57機を撃墜し、味方の損失は13機だった。戦争末期の日本に「一筋の光」を与えると同時に、紫電改の威力が米軍側にも知られる戦闘となった。
腹痛のため出撃のタイミングを逃し、地上から空戦を眺めるしかなかった笠井智一さん(93)=兵庫県=は、著書「最後の紫電改パイロット」(潮書房光人社)の中でこう振り返っている。「遊撃戦に行けなかったのは、いま思い返しても本当に無念で仕方がない」。自らの命を省みずにより早く出撃し、1機でも多くの米軍機を撃墜するという信念が、部隊全体に染み渡っていたとみられる。
45年4月30日には部隊の拠点を長崎県の大村航空基地に移転。この頃になると、深刻な燃料不足で訓練飛行が制限されただけでなく、使用できる紫電改は20機余りに減っていた。資材不足や工場の空襲被害などで新たな紫電改は補充できず、戦闘のたびに人員と機体は減っていく。燃料の質も悪く、十分な飛行性能も発揮できない。そして、襲来する敵機は増える一方だった。
そうした状況で迎えた45年5月5日、粕谷さんは大村を飛び立って4機で編隊を組み、福岡県南部と大分間の上空で米軍のB29爆撃機と激しく交戦。紫電改は空中分解して山中に墜ち、粕谷さんは戦死した。
憧れから予科練に入り、日本の劣勢に危機感を覚えながら、配属された航空隊。そこで先達たちの背中を見ながら、敵に立ち向かっていった粕谷さん。そうして守りたかったものは何だったのか―。
19歳で人生を絶たれた粕谷さんについて、残された記録は少ない。ただ、胸ポケットには母親の写真が入っていたという話が伝わっている。
戦友の一人は戦後、粕谷さんの思いに応えるようにこんな言葉を残している。「僕の代わりになってくれて有難う」。どの青年が命を落としてもおかしくなかった戦中。粕谷さんの19年間の半生をたどると、彼のような人たちがつないでくれた現代の日本と平和の重みに気付くことができる。
※この記事は西日本新聞とYahoo!ニュースの連携企画記事です。太平洋戦争末期に旧日本軍が投入した戦闘機「紫電改」を巡る逸話について2回の連載で迫ります。
西日本新聞
進研模試、ネット売買横行 全国で40万人受検 実施日のずれ悪用
2019年08月14日
インターネット上で進研模試の『ネタバレ』が売買されています」。高校1年生の子どもを持つ母親から、特命取材班にそんな声が届いた。進研模試とは、通信教育大手ベネッセコーポレーションが実施し、全国の高校約3千校で約40万人が受検する民間模試。参加校で実施日が異なるのを利用し、問題と解答・解説が会員制交流サイト(SNS)などで出回っているという。調べてみると、他の模試も含めて不正は10年以上横行していた。
「高1 7月の進研模試の国数英すべての問題、解答の写真をiTunesカード1500円でお送りします」
7月中旬。ツイッターで「#進研模試ネタバレ」と検索すると、同種の投稿がずらりと並んだ。「全教科配布できます」「問題のみ アマギフ1500円 回答つき アマギフ3000円」-。
模試の表紙や問題の一部を写した写真が添付されている。iTunesとは、音楽・映像配信サービス「iTunes(アイチューンズ)」、アマギフとはネット通販大手「アマゾン」のギフト券のこと。欲しいという人にはメールで全写真を送り、電子マネーで報酬をもらうやり方だ。大手予備校の河合塾、駿台予備校の模試についても同様のツイートが確認できた。
フリーマーケットアプリ大手のメルカリにも数百~数万円で多数出品されていた。試しに7月の進研模試地歴、公民、理科の3教科を計888円で購入すると、3日後に書き込みのない問題と解答・解説、解答用紙が手元に届いた。
ベネッセによると、ネットを利用した「ネタバレ」が問題となり始めたのは2005年ごろ。「ネタバレ板」と呼ばれる掲示板に問題や解答を直接書き込む形だった。同社は不正な書き込みの削除申請を続けている。近年、ツイッターやフリーマーケットアプリで不正が確認されたことから、18年からは大手3社(メルカリ、ヤフオク、ラクマ)と連携。削除を確実に行うという約束を取り付けたという。
それでも不正な投稿、出品は絶えない。ベネッセは「SNSを常に監視はできない。連携する3社以外については、申請をしても削除するかどうかの判断、時期はSNSの運営側に委ねられる」と頭を抱える。
模試には「統一実施日」があるが、実際は行事など各校の都合で前後して実施する高校が多い。7月模試は6月29日が実施日とされていたが、取材班に声を寄せた女性の子どもの高校では7月13日に行われた。
そもそも実力を試すための模試で、不正をするメリットはあるのか。女性は「模試の結果を大学の推薦に利用する学校もあると聞いた。子どもの学校では、クラス分けの判断材料に使う重要な試験だと言われた」と打ち明ける。
確かに昨年7月、関西の私立大付属高校で一部生徒が模試の解答をネット上で入手していた問題が発覚。同校では、模試を内部進学の合否判定に使っていた。
ほかにメリットはなさそうだ。福岡県の公立高校に勤める30代女性教諭は「模試の結果が、内申点や大学推薦に影響することはあり得ない」と話す。
不正によって模試でいい成績をとっても、実際の入試で結果を出さなければ意味がない。女性教諭は「親が高いお金を出しているのにもったいない」。長崎県の公立高校の50代男性教諭も「模試のデータ全体の信頼性にも関わるし、進路選択上も問題が出てくる。不正をしても自分のためにならない」と呼び掛けた。
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香港デモで空港閉鎖 中国政府、怒り募らせる
2019年08月13日
【AFP=時事】香港で12日、警察による暴力行為を非難する数千人の民主派デモ隊が香港空港(Hong Kong International Airport)内に集結したことを受け、同空港の発着便がすべて欠航となった。
【写真14枚】前日のデモで顔を負傷し血まみれになった女性、空港デモの様子
世界で最も利用者が多いハブ空港の一つである同空港が突然閉鎖される中、中国政府は暴力的なデモの一部を「テロ」と非難し、デモ隊に対する怒りを募らせていることを示唆した。
当局は、13日午前6時(日本時間同7時)の空港再開を目指していると発表したが、到着ロビーには深夜になっても数百人のデモ隊がとどまり、退去する様子を見せていない。
香港で10週間にわたり続く反政府デモは、既に英国による1997年の香港返還以降で最大規模にまで拡大していたが、空港閉鎖によりさらなる激化の様相を呈している。
警察は先週末、市内約10か所でデモ隊と対峙(たいじ)し、地下鉄の駅や混雑した商店街で催涙ガスを使用した。一方のデモ隊は、機動隊に対しれんがを投げたり、消火器を噴射したり、ホースで水を掛けたりして対抗した。
当局によると、衝突により45人が負傷し、うち2人が重傷を負った。負傷者の中にはビーンバッグ弾で顔を撃たれたとされる女性が含まれており、女性はこれにより失明したといううわさも流れている。【翻訳編集】 AFPBB News
ロシア爆発、小型原子炉に関連 原子力利用の新型兵器
2019年08月13日
【モスクワ共同】ロシア北部アルハンゲリスク州の海軍実験場で起きたミサイル実験の爆発事故で、実験に関与していた国営原子力企業ロスアトムの専門家は12日までに、小型原子炉開発に関連した事故だったと明らかにした。軍事機密に関わるため詳細は不明だが、原子力利用の新型兵器の開発に関係した事故であることが確実となった。
爆発事故で死亡した5人はロスアトム傘下の核・実験物理学研究センターの専門家だった。同センターのソロビヨフ主席研究員は11日放映のテレビインタビューで事故について「放射性物質を使った熱・電力源、つまり小型原子炉の開発に取り組んでいる」と説明した。
香港国際空港で全便欠航、中国「抗議活動にテロの兆し」
2019年08月13日
[香港 12日 ロイター] – 香港国際空港は12日、デモ活動に伴う混乱を理由に、発着する全ての便が欠航した。2カ月に及ぶ反政府抗議活動について中国当局は、「テロ」の兆しが見られ始めたとの認識を示した。
空港当局は13日午前6時の運航再開に向け取り組んでいると説明した。中国の航空当局は、大湾区「グレーターベイエリア」内各空港の移動能力を高め、本土・香港便の障害を回避する方針を明らかにした。
地元警察によると、一部の活動家らが出発エリアに移り、混乱を引き起こしたという。だが、抗議活動の参加者らは到着ロビーを4日間、平穏に占拠しており、空港閉鎖の直接の引き金は不明だ。警察は、抗議者の排除に動くかについて明らかにしなかった。
香港マカオ事務弁公室の報道官は北京で「香港は重大な岐路にある。抗議活動参加者らはここ数日、警察への攻撃に極めて危険な手段を頻繁に用いている。テロリズムの芽が出つつあり重大な犯罪行為だ」と指摘した。
中国はテロリズムの脅威に触れることで、新疆やチベットで強硬手段を正当化してきた。
一部抗議活動が公式見解でテロリズムと表現されたことについて、香港の法律専門家らは広範な反テロ法適用や権力行使につながる可能性を指摘する。
中国共産党機関紙・人民日報傘下の有力国際情報紙、環球時報は、中国人民武装警察部隊が、香港に近い深センで訓練のため招集されたと伝えた。
香港では、容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正を巡り大規模デモが続いており、デモ参加者と警察との衝突も発生している。
週末には、警察が地下鉄駅でデモ参加者に向けて至近距離で催涙ガスやゴム弾を発射。地下鉄駅で催涙ガスが仕様されるのは初めて。香港島のほか、九龍、新界地区各所で催涙ガスが使用され、こうした衝突で女性1人が目に負傷を負ったことがデモの引き金になったという。
*内容を追加しました。
文政権「放置」批判かわす狙い=日韓企業の慰謝料支給案-徴用工訴訟
2019年08月13日
【ソウル時事】韓国最高裁が日本企業に元徴用工らへの賠償を命じた判決をめぐり、韓国政府が日韓企業の資金拠出による慰謝料支給案の受け入れを条件に、2国間協議に応じる用意を表明した背景には、「文在寅政権が対応を先送りし、対日関係悪化を放置している」という批判をかわす狙いがあるとみられる。
日韓企業による基金設置構想は民間専門家らが提案していたが、韓国大統領府は今年1月、「非常識だ」と却下。これを受けて韓国メディアは「賠償問題の出口となり得る方策を封鎖した」などと文政権の対応に疑問を呈していた。
韓国政府が具体的な対応策を打ち出さず、日韓請求権協定に規定された2国間協議や仲裁委員会の設置にも応じないため、日本政府はいら立ちを強めており、今月末の20カ国・地域(G20)首脳会議に合わせた日韓首脳会談は見送られる公算が大きくなっている。
韓国政府は「賠償問題は請求権協定で解決済み」という日本政府の立場を熟知しており、日韓企業による慰謝料支給案を示しても、日本側が受け入れないのは予想されたことだ。しかし、日本側が韓国案を拒否したとなれば、首脳会談が見送られても、韓国政府に全面的に責任が降りかかる事態は避けられるという判断もありそうだ。
日本が韓国案を一蹴する一方、韓国も仲裁委設置の諾否を先送りしており、問題の一層の長期化は避けられない。![]()
文政権、「未来志向」に逆行=日韓改善、めど立たず-10日で発足2年
2019年08月13日
ソウル時事】2017年5月、韓国で革新系の文在寅政権が発足してから10日で2年。この間、文政権は「最終的かつ不可逆的な解決」をうたった慰安婦問題をめぐる日韓政府間合意を事実上、無効にした。さらに、日本企業に元徴用工への賠償を命じた韓国最高裁判決への対応を先送り。表向きは「未来志向の関係構築」を目標に掲げながら、逆行するような動きが続いており、日韓関係改善のめどは立たない。
【地球コラム】かみ合わぬ隣国~韓国の「人権攻勢」と「日本軽視」~
「予想以上に現実的だ」。文政権発足直後、日本政府関係者は胸をなでおろした。文氏は慰安婦合意の再交渉を公約に掲げたが、大統領就任後は「大多数の国民が受け入れていない」と述べながらも、再交渉は口にしなかった。歴史問題と、北朝鮮を念頭に置いた安保協力などを分けて対応する「ツートラック(2路線)」政策を打ち出したこともあり、外交関係者の間では安堵(あんど)感が広がった。
しかし、期待は打ち砕かれた。康京和外相直属の作業部会が慰安婦合意の交渉過程を検証し、「被害者の意見集約を欠いた」と批判する報告書を発表。文氏は「合意は手続き的にも内容的にも重大な欠陥がある」と指摘し、「問題を解決できない」と断言した。合意に基づき創設され、日本政府が10億円を拠出した「和解・癒やし財団」は解散に追い込まれた。
徴用工判決への対応でも、05年に当時の盧武鉉政権が、日韓の請求権問題の解決を明記した1965年の請求権協定に「徴用工問題も含まれる」との立場を示したことから、盧氏の元側近の文氏が見解を踏襲するとの楽観的な見方があった。しかし、文氏は「三権分立」を盾に不介入の立場を堅持。具体的な対応策を打ち出さず、その間に原告側は差し押さえた日本企業の資産の現金化に着手した。
6月に大阪で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議や、10月の天皇陛下即位の祝賀行事に合わせ、文氏の訪日が見込まれる。日韓外交当局はこうした機会を関係修復のきっかけにしたい考えだ。両国の国会議員からも側面支援を模索する動きが出ているが、改善に向かうかは不透明だ。![]()
かみ合わぬ隣国~韓国の「人権攻勢」と「日本軽視」~
2019年08月13日
長年の努力「ちゃぶ台返し」
日韓関係が険悪化している。韓国最高裁で日本企業に元徴用工への賠償を命じる判決が確定し、韓国政府は日韓合意に基づく慰安婦財団の解散を決定。追い打ちをかけるように韓国艦による自衛隊機へのレーダー照射問題も起きた。韓国はいったいどうなってしまったのか。韓国政府の対日姿勢と今後の出方、日本が進むべき道について考えてみたい。(時事通信社外信部編集委員・前ソウル支局長 吉田健一)
◇ ◇ ◇
これらの中でも最も深刻なのが徴用工問題だ。韓国最高裁で昨年10月30日、戦時中に日本に徴用された韓国人4人の個人請求権を認め、新日鉄住金に賠償を命じる判決が確定した。
1965年の日韓国交正常化の際に結ばれた請求権協定では、日本が経済協力資金を支払い、両国と国民間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」ことを明記している。判決は両国関係の根幹を否定する内容だ。
日本政府は猛反発し、韓国政府に両国関係を損なわないよう対応を要求。韓国政府は検討に着手したものの、「日本政府が過剰に反応している」(外務省報道官)と批判を強め、具体的な対応策をなかなか示さなかった。そうこうしている間、韓国の裁判所は国内の新日鉄住金の資産を差し押さえた。最高裁判決に沿い、別の日本企業が敗訴する判決も相次いでいる。
日本が韓国を併合し、支配したのは紛れもない歴史的事実だ。しかし戦後、国交正常化に向け、日韓が十数年間の長い時間をかけて知恵を絞り合い、請求権協定を結び、請求権問題を解決させたのも、また歴史的事実なのだ。
これまでも日韓は歴史問題をめぐって対立することがあったが、元徴用工の請求権問題は韓国政府も「解決済み」との見解を貫いてきた。それでは韓国政府はなぜ日韓の長年の努力を「ちゃぶ台返し」する判決に沈黙しているのか。
背景には日本に対する韓国の姿勢の変化があると考えられる。それがよく出ているのが左派系新聞・ハンギョレのパク・ビョンス論説委員のコラムだ。一部を引用する。
「韓日間の65年体制を可能にした環境と条件は、とっくに変わった。普遍的人権意識が高まり、過去の日帝による野蛮な暴力は、普遍的人権の脈絡で再び照明を当てられている。一方、両国を緊密に縛ってきた経済・安保協力は、韓国の経済成長と南北関係改善などにより、その重要性が大幅に低下した」
つまり①日本との歴史問題は、請求権協定などの約束よりも韓国、そして国際的な現在の価値判断を優先させる②経済的な格差が縮まり、安保協力の必要性も低下した日本との関係は重視しない-という姿勢だ。
こうした考え方は左派・右派を問わず韓国の政治家や知識人に広く見られる。ただ、一般的には、日米韓の安保協力に重きを置く右派は「ソフト」、南北融和路線の左派が「ハード」路線と言える。
事実よりイメージ
今後の韓国の対日姿勢のキーワードは「人権攻勢」と「日本軽視」だろう。事実や約束、国際法を重視する日本とは議論がかみ合わない状況が続くとみた方がいい。
それでは、対立が強まる日本に韓国がどのような戦術を使ってくるか。それが垣間見えたのが、韓国駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射問題だ。
韓国側が照射を認めなかったため、防衛省は昨年12月28日に、当時の状況を撮影した映像を公開。これに対し韓国国防省は1月4日、反論の動画を公開した。
4分26秒の動画の大部分はおどろおどろしいBGMつきの映画の予告編のようなつくり。しかし映像のほとんどは、日本の防衛省が公表した哨戒機撮影のもので、韓国海洋警察が撮影した哨戒機の飛行映像はわずかだった。
自衛隊機への火器管制レーダーの照射を否定したものの、それを裏付ける内容はなし。一方で、「日本の哨戒機が低高度で進入した。なぜ、人道主義的救助作戦の現場で、低空、威嚇飛行をしたのか?」などの字幕を入れ、遭難漁船の救助という人道的な作戦中、日本側が低空飛行で威嚇したとして、逆に日本を非難した。
動画は韓国語、日本語のほか、国連の公用語である英語、中国語、ロシア語、フランス語、スペイン語、アラビア語の計8カ国版が公表された。火器管制レーダーの照射から人道的問題に焦点をすり替え、問題は日本側にあるという「イメージ」を世界に広げようという狙いが見え見えだ。
さらに、国防省ホームページにある動画のサムネイル(縮小見本表示)には、自衛隊機が韓国艦の上すれすれを飛行する合成画像が使われた。国防省当局者は指摘を受け、「編集されている」と認めた。
これには正直、あぜんとするほかなかった。韓国では、日本との歴史問題では「被害者」である自分たちは多少行き過ぎたことをしても許されるという空気がある、とよく言われる。「反日無罪」とも言われるが、今回もそれが出たようだ。
「痛み分け」あり得ず
徴用工、慰安婦財団解散、レーダー照射。最近の対立の種は韓国側がつくっていることは間違いない。自ら問題をつくり出して状況を変えた上で、日本側が「過剰反応」するのを問題視して泥仕合に持ち込み、「痛み分け」の形で事を進めようという戦略が浮かんでくる。
それが意図的なのか、偶然なのかははっきりしないが、日本側は巻き込まれないよう警戒すべきだろう。文在寅政権には、朴槿恵前政権を否定する世論に応えなけらばならないという国内事情があるのかもしれないが、それを対日関係に持ち込むのは受け入れられない。
徴用工問題で韓国側では、日韓の企業と両政府による「2プラス2」や日本政府を除く「2プラス1」で基金をつくり、元徴用工や遺族に補償する案が検討されている。しかし、請求権協定は日韓関係の根底であり、これを動かすことは「パンドラの箱」を開けることになる。日本としては「痛み分け」や妥協はあり得ないという立場を貫くべきだろう。
韓国側が指摘するように日韓の国力の差は縮小しており、日本も本気で向き合わなければ相手ペースに乗せられてしまう。韓国の人権・人道主義のアピールは国際社会に受け入れられやすい面があるのも事実で、国際司法裁判所など、国際的な判断にゆだねる場合、慎重さが必要だ。世界的に影響力のある「韓流」に通じるイメージ戦略を駆使する韓国政府の情報発信をあなどると痛い目に遭いかねない。
日韓のすれ違いは、両国の国民性の違いに起因する面もあると感じる。特に感情表現は対照的で、「日本人は10を考えても1しか言わないが、韓国人は1を考えると10を言う」などと言われる。日本を批判するときの韓国要人の発言やメディアの報道ぶりは日本人にとって、実際以上にどぎつく感じられる。
韓国の露骨な日本非難は日本人の感情を刺激しやすい。そして日本側も韓国を刺激して応酬となり、勝つか負けるかの「ゼロサムゲーム」に陥ってしまっている。ネット上などで見られる口汚い非難合戦は憎しみしか生み出さない。日本人に求められる姿勢は、韓国などからの非難とは別に、戦後も含めた自らの歴史を学び、言うべきときには、意見をはっきり言うことではないか。
韓国の知日派専門家を中心に、徴用工問題は国内問題として扱い、原告に韓国政府が補償する案も検討されているという。韓国メディアにも日本の事情を理解し、現実的な考えをする人もいる。
韓国で長く暮らして実感しているが、一般の韓国人には日本に好意的な人が多い。このような人々を大切にしつつも、最近の韓国政府の対日攻勢には安易な妥協をせず、日本の立場を説明し続けることが、長期的には日韓関係にも有益だと考える。
日本政府、強気崩さず=韓国措置の影響見極め
2019年08月13日
韓国が日本の輸出管理厳格化への事実上の対抗措置を発表したことを受け、日本政府は措置の内容を精査し、日本経済への影響を見極める方針だ。
ただ、影響は限定的との見方が強く、元徴用工問題で韓国に善処を迫るという強気の姿勢を崩していない。
佐藤正久外務副大臣は12日、韓国の措置を受けてツイッターに「どのような理由なのか細部確認する。ただ韓国から日本への機微な戦略物資はほとんど無いのでは?」と書き込んだ。
日本政府関係者は「詳細が分からない以上、何とも言いようがない」と述べ、在韓国大使館などを通じて情報収集を進める考えを示した。
財務省の貿易統計によると、2018年度の韓国からの輸入額は約3兆4800億円で、国別で第5位。日本政府内には「影響はない。騒ぐことではない」(経済産業省関係者)との声が広がる。外務省幹部は「状況は変わっていない」と述べ、元徴用工問題での「国際法違反状態」の是正を引き続き韓国に求めていく考えを示した。
紫電改「体当たり」の真相 B29と壮絶な空中戦、少年航空兵の最期
2019年08月13日
昨年から大分県竹田市の山中で、ガラスや鉄の破片が相次いで発見されている。その数、約60点。太平洋戦争末期に旧日本軍が投入した戦闘機「紫電改」の残骸とみられる。戦況打開への一筋の光として、日本に続々と襲来する米軍機に立ち向かった当時の新鋭機。
発見現場の上空では今から74年前、紫電改に乗った19歳の少年航空兵、粕谷欣三さんが米軍のB29爆撃機に体当たりをしたという逸話が残っており、今回発見されたのはその機体の一部の可能性が高い。粕谷さんの紫電改は当時、どんな戦いを繰り広げたのか。逸話の基となったとみられる目撃者の証言に加え、日米双方の関係資料を探ってみると、伝承とは異なる戦争の実相が浮かび上がってきた。
1945年5月5日。その日の竹田市上空は晴れ渡っていた。
撃墜されたB29の機長だったワトキンズ氏(捕虜になった後、帰国)の証言によると、午前8時ごろ、福岡県の飛行場を爆撃。帰路に就こうとしていた頃、エンジンが被弾したという。攻撃したのは紫電改だった。
旧日本海軍の資料では、紫電改は午前7時26分、長崎県の大村航空基地を飛び立っていた。同8時5分、紫電改は大分と福岡県の久留米間の上空、高度6000メートル付近で10機のB29をとらえると、直ちに攻撃に移った。
B29は各機に10人ほどの乗組員が搭乗し、近づく敵機に機銃を浴びせる「空の要塞」。八方から弾を飛ばす様は、旧日本軍パイロットの目に「ハリネズミ」のように映ったという。全長は30メートルで、1人乗りの紫電改の3倍以上の大きさ。エースとうたわれたパイロットでも、次々と機銃を撃ち込んでも火を吹かない巨体にてこずった。
強固な火力と防御力に対抗するため、紫電改に乗り込んだ旧日本海軍の「343航空隊」が採用したのが、「垂直背面攻撃」だった。上空で機体の上下を反転させると、ほぼ垂直に突進し、擦れ違いざまにB29の鼻先にあるコクピットやエンジンに機銃をたたき込む―。高度な飛行技術と精神力が必要な命懸けの戦法だった。
粕谷さんも343航空隊の一員だった。4機で編隊を組んで飛び、2機ずつに分かれて攻撃をしていた紫電改。この日も2機1組で垂直背面攻撃を敢行した。爆撃を終えて帰投する米軍機を奇襲するのが当時の戦略であり、この日の最初の機銃は気付かれぬうちに撃ち込んだとみられる。
敵機に接触するほどのすれすれを通り過ぎながら、機銃を放った紫電改。被弾したB29は、エンジンが炎上した。
最初の攻撃を終え、垂直方向に降下していた粕谷さんは、操縦桿を握りしめて機体を引き起こすと、今度は下側からB29を追撃した。が、再びすれ違いざまに射撃した際、急な方向転換で大きな負荷がかかっていた機体が空中分解を起こし、そのまま山中に墜落した。
垂直背面攻撃は、機体を引き起こす時にパイロットの意識が飛ぶほどの重力加速度がかかる。機体に「しわ」が発生したり、粕谷さんの機のように空中分解したりすることもあった。敵機との衝突や反撃を回避できてもなお、死線を超えるには至らない過酷な技だった。
粕谷さんの機体は大分県竹田市の山中に落ちた。粕谷さん自身は落下傘が開いたものの、空中分解の衝撃によって頭の骨が折れるなどし、午前8時20分ごろに絶命したとみられる。近くの住民が救護に駆け付けた時には、まだ体が温かかったという。
被弾したB29はコントロールを失い、乗組員たちは機体を放棄してパラシュートで脱出。地上で住民らに捕らえられたり、交戦中に死亡したりした。機長として東京へ送致されたワトキンズ氏以外の捕虜は、後に九州帝国大(現在の九州大)に移され、片肺切除などの生体解剖手術を受けて死亡した。
粕谷さんの最期は地元では長く、B29に「体当たりした」と伝えられてきた。粕谷さんとB29搭乗員の名を刻んだ現地の鎮魂碑「殉空之碑」にも、そう刻まれている。
当時、小学生だった地元の男性(85)は西日本新聞の取材に「紫電改は落下しながらB29とすれ違い、U字カーブを描いて上昇しながら敵機にぶつかった」と話しており、こうした住民の証言から「体当たり」説が広まったとみられる。
太平洋戦争当時、敵機に機銃を撃ち込むのは非常に難しかった。コクピットの照準器を敵機に合わせて撃つだけでは命中せず、歴戦のパイロットは100メートル以内まで距離を詰めて撃ったという。それだけ接近して射撃をしていれば、粕谷さんの紫電改が実際には空中分解をしていても、地上からは「体当たり」に見えても不思議ではない。粕谷さんの最期を記した旧日本海軍の文書には「空中分解」とあり、B29の元機長ワトキンズ氏の証言には「すれ違った」と記録されている。優秀なパイロットをそろえ、最新の戦闘機を配備した343航空隊では、体当たり戦法を採用してもいなかった。
最期が体当たりではなく、空中分解だったとしても、19歳の若者の戦いが色あせる訳ではない。ただ、勇敢さや美談がもてはやされ、時代の空気に流される中で、埋もれてしまう「真相」がある。そんな危うさを今の時代に伝えている。
紫電改の落下地点は明確に伝えられてこなかったが、当時の目撃証言を基に、戦争捕虜の調査研究をしている民間団体「POW研究会」(東京)のメンバーや住民らが2018年春から現地を捜索。機体の旋回性能を上げる両翼の「空戦フラップ」の一部で、旧日本海軍のいかりの文様が入った部品や、フロントガラスと思われる親指大のガラス片の塊など約60点が発見された。その一部は現地にある粕谷さんの「鎮魂碑」の前に展示されている。
※この記事は西日本新聞とYahoo!ニュースの連携企画記事です。太平洋戦争末期に旧日本軍が投入した戦闘機「紫電改」を巡る逸話について2回の連載で迫ります。
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