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2019年06月19日
「こんなに大きな地震を人生で何度も経験するなんて」。18日夜に震度6強を観測した新潟県村上市。横田リキさん(81)は、55年前の昭和39年にも新潟地震を経験したといい、疲れ切った声を出した。
横田さんは足腰が悪く、歩くときには手押し車の補助が欠かせない。村上市内の自宅近くの市立岩船中に避難する際は娘が手助けしてくれたが、「津波から逃げ切れるか、すごく怖かった」と振り返った。
体育館には約200人が集まり、幼い子どもを連れた家族や寝間着のまま逃げ込んだ人もいた。お年寄りが段差を昇る時には、近くの人が手を貸したり、住民同士で無事を確認し合ったりする場面もあった。
東日本大震災では車で避難した人が渋滞中に津波にのみ込まれたが、学校の周囲にも住民らの車が所狭しと並んだ。不安の中で情報が入り乱れ、「津波警報解除はまだか」といらだつ声を上げる住民もいた。
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2019年06月19日
山形県鶴岡市によると、新潟で最大震度6強を観測した地震で、市内の4カ所で液状化の被害が発生した。
市道が陥没したり、駐車中の車が動けなくなったりする被害が生じたという。
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2019年06月18日
1928年5月21日、西アフリカのアクラ(現在のガーナの首都)で、アメリカのロックフェラー医学研究所から当地に赴任していた細菌学者の野口英世が51歳で死去した。いまから91年前のきょうのできごとである。野口はアフリカに黄熱病の研究のため赴いたが、自らも感染して命を落とした。
北里の伝染病研究所に在籍していた野口
野口英世は2004年より千円札にその肖像が使われてきた。先ごろ、現行紙幣のデザインが2024年をめどに一新されることが発表され、千円札の肖像は野口から、同じく細菌学者の北里柴三郎に変更されることになった。野口は20代前半の数年間、北里が所長を務めていた伝染病研究所に在籍している。それだけに今回の千円札の肖像変更は、弟子から師匠へのバトンタッチともいえる。
1928年の5月21日に英領ゴールド・コースト(現ガーナ)で黄熱病のため死去した野口英世 ©AFLO
野口は1898年に順天堂医院から伝染病研究所に移り、見習格という下級助手の身分ながら13円もの破格の月給を得ることになった(※1)。翌99年にジョンズ・ホプキンス大学の病理学教授サイモン・フレクスナーが来日したときには、北里から通訳・案内役を任されている。
とはいえ、伝染病研究所は野口にとってけっして居心地のいい場所ではなかったようだ。福島県の貧しい農家に生まれ育った彼は、大学や医学校で学ぶことはかなわず、高等小学校卒業後、地元の医院などで修業しながら苦学して開業医試験に合格した。これに対し、伝染病研究所の所員の多くは東京帝国大学出身だった。そのため、学閥の壁に阻まれることもしばしばだった。さらにフレクスナー来日の直後には、野口が図書室の高価な医学書を友人に貸したところ売却されるという事件が発覚する。このため所内では、浪費家の野口が金に困って自分で売ったのではないかとの噂も立つ。濡れ衣だが、野口が日頃の不満から遊蕩癖があったのは事実だった。すっかり仕事を干された野口を、北里は横浜の海港検疫所に出向させる。
日本を飛び出した弟子を讃えた北里
野口は横浜で、入港した船からペストらしき患者を発見した。それが評価され、清国でペストが発生すると、伝染病研究所が派遣した医師団への参加を北里から命じられる。この清国滞在中、野口は欧米人医師団に伍して働き、国際人として生きていく自信をつけた。派遣団に参加した時点ですでに検疫所をやめていた彼は、帰国しても伝染病研究所に戻ることなく、渡米の準備を進め、翌1900年には日本を離れた。アメリカに着くとすぐ、研究所時代に会ったフレクスナー(当時ペンシルベニア大教授)のもとへ押しかけ、懇願して助手につけてもらった。
それから15年後の1915年、フレクスナーが研究部長となったロックフェラー医学研究所で数々の業績をあげていた野口は、学士院賞恩賜賞の受賞をきっかけに久々に帰国する。そのとき北里は、《野口君が今日あるのは朋友相排し圧迫と猜疑をもって迫害を加える日本と違って、才能をのばす大研究所で仕事ができたからである》と、学閥が支配する日本を飛び出して成功したかつての弟子を讃えた(※2)。北里は、母校である東京帝大から長らく冷遇され、1914年には伝染病研究所が内務省から文部省に移管される(のちに東大付属となる)のに反対して辞職、私財をなげうって北里研究所を設立していた。野口への賛辞には、東大と対決姿勢をとる北里の心情もうかがえる。
1931年に78歳で亡くなった北里柴三郎 ©時事通信社
なぜ野口はノーベル賞を獲れなかったのか
野口英世は、ノーベル生理学医学賞にもたびたびノミネートされている。初めて同賞候補として推薦リストに名前が出たのは1913年、以来9回にわたって、のべ24人の世界の第一級の研究者から推薦を受けたことがわかっている。1914年、15年、20年には最終選考にまで残り、とくに1915年は受賞の可能性がもっとも高かったともいわれる(※3)。だが、結局、この年から1918年までの4年間、ノーベル生理学医学賞は第一次世界大戦を理由に「該当者なし」となる。
ただし、スウェーデンのウイルス学者で、1973年から約20年間ノーベル生理学医学賞の選考にも携わったアーリング・ノルビがノーベル文書館所蔵の公開記録文書を調べたところ、ノーベル賞の選考委員は、野口について精査の末、賞を授与しなかったことがわかったという。ノルビによれば、1914年と1915年には、カロリンスカ研究所の病理学教授カール・スンドベリが、フレクスナーと野口両者の研究を詳細に調査して検討したものの、賞にふさわしいとは見なされなかった。さらに10年後の1925年、野口が8人から推薦を受けたため、ノーベル委員会は法医学教授グンナル・ヘドレンに新たに徹底的な調査を行わせたが、《幸いなことにヘドレンもノーベル委員会も、自分の仮説を熱心に説く野口に惑わされなかった》という(※4)。
1913年、フランスの「イリュストラシオン」紙の取材を受ける野口英世 ©getty
そもそも野口の研究には、梅毒スピロヘータ(梅毒の病原体となる細菌)の脳内存在の確認など現在も大きな業績として認められるものがある一方で、実験で発見したものには追試できないことがのちに発覚し、否定されたものも少なくない。彼が罹患して命を落とすことになった黄熱病の研究もその一つである。
「尊敬する人物は福沢諭吉である」
野口は1918年、南米エクアドルにおける黄熱病の流行を受け、ロックフェラー財団(ロックフェラー研究所とは独立した組織)の調査団に参加、翌年、レプトスピラ(細菌類スピロヘータ科の一属)を黄熱病の病原体として発表していた。だが、1927年夏、ロックフェラー財団が西アフリカのナイジェリアに設置した実験所で、イギリス人研究者エイドリアン・ストークスらが、黄熱病患者から採取した物質でサルを感染させることに成功、ここから黄熱病が細菌よりも微小な病原体(ウイルス)によるものであることが確認される。
それでもレプトスピラが黄熱病の原因だと信じていた野口は、自説を証明すべく1927年11月、ロックフェラー財団の実験所の出張所のあるアクラに赴いたのだった。その直前の9月には、先述の実験に成功したストークスが黄熱病で亡くなっていた。野口はストークスに続く殉職者となり、野口を検死解剖した実験所の所長のW.A.ヤングもまた黄熱病のため、直後の5月29日に死亡している。
思うような成果が得られないまま、病床に就いた野口は、亡くなる8日前、見舞いに訪れたヤングに「君は大丈夫か?」と訊ねた。ヤングが「大丈夫です」と答えると、野口は「どうもぼくにはわからない」とつぶやいたという。それが彼の最後の言葉となった(※5)。
野口は生前、アメリカを訪れた若い日本人に、自分の尊敬する人物は福沢諭吉であると話したことがあったという。福沢は、北里柴三郎が伝染病研究所を設置するにあたり出資している。科学史家の中山茂はここから、《彼は北里のスポンサーになって伝染病研究所をつくった福沢の功績を買い、自分にも福沢のような学問の理解者が日本にあらわれて研究所を作って日本によびもどしてくれたら、という直接的な願望を持ったであろう》と推察する(※5)。もし、野口が長命を保ったとして、日本に戻り、北里のように母国で多くの後身を育てる将来もあったのだろうか。
2024年度に刷新される予定の千円札(財務省HPより)
現在の千円札(財務省HPより)
※1 星亮一『野口英世 波乱の生涯』(三修社)
※2 長木大三『北里柴三郎とその一門』(慶應通信)
※3 馬場錬成『ノーベル賞の100年 自然科学三賞でたどる科学史[増補版]』(中公新書)
※4 アーリング・ノルビ『ノーベル賞はこうして決まる 選考者が語る自然科学三賞の真実』(千葉喜久枝訳、創元社)
※5 中山茂『野口英世』(岩波書店・同時代ライブラリー)
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2019年06月18日
本の紙幣が20年ぶりに刷新されることになった。
新1000円札の表のデザインには「日本近代医学の父」と讃えられる、北里柴三郎(1853-1931)。世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法を開発した。ペスト菌も発見。生涯を予防医学の発展に尽くし、第1回ノーベル生理学・医学賞の有力候補に挙げられた人物だ。
(出典:文藝春秋2014年1月号)
語り手の孫の北里一郎氏(81)は、明治製菓の社長(のちに最高顧問)を務め、現在は学校法人北里研究所の相談役。
「雷おやじ」がニックネームだった
まず触れるべきは、「ドンネル」というあだ名でしょうね。ドイツ語で「雷おやじ」(笑)。
いわれは、規律に厳しかったことにあるそうです。同僚でも弟子でもたるんだヤツが大嫌いで、徹底的に雷を落とした。しかし、人前で怒ることは絶対に避けた。相手がやる気をなくしては意味がない、という配慮があったからです。そうやって任せたあとは、遠くから眺めるだけで口出ししなかったので、弟子たちは研究に集中しました。
好んで揮毫した言葉は「任人勿疑 疑勿任人(人を任ずるに疑うなかれ、疑って人を任ずるなかれ)」。そうした人間味を含めて、「雷おやじ」のニックネームがついたようです。
©時事通信社
阿蘇での子供時代は、負けず嫌いの暴れん坊だったとか。18歳で医学を志す道筋を与えた熊本医学校のオランダ人医師マンスフェルト、ドイツ留学時代に師事したコッホ、そして福澤諭吉が、柴三郎の三大恩人です。出会う人に恵まれたし、出会った人に対する報恩の精神が、柴三郎は人一倍強かったといえます。
「医者の使命は病気を予防すること」と考えていた柴三郎ですが、ドイツから帰国後、伝染病の研究をする機関がなかった。そのとき、私財を投じて面倒をみたのが、福澤先生でした。おかげでできたのが、伝染病研究所です。翌年、この伝染病研究所が移転を計画すると、地元で反対運動が起こりました。そのときも福澤先生は自ら住民を説得し、研究所の隣に次男一家を住まわせて、安全性を示したのです。
大隈重信内閣が、伝染病研究所の所管を内務省から文部省に変えると閣議決定したとき、事前に相談がなく承服できなかった柴三郎は、辞表を出します。そのときの弁は、「福澤先生の教えによるところの独立自尊はここにあると考えたからである。学問の独立を尊重する以上は説をまげてまでも研究所に留まることはないと決心した」。お弟子さんや職員も揃って辞職を申し出たそうですから、「ドンネル」は慕われていたんでしょう(笑)。そして、北里研究所の設立に至ったわけです。
庭で飼っていた鳥も解剖した
福澤先生が亡くなったときの弔辞は、
〔余は衷心、実に師父を喪いたるの感あり。然れども先生の偉業は依然として我が眼前に存し、先生の遺訓は歴然として余が脳裏にあり。余不敏と言えどもまたその偉業を守りその遺訓を体し切磋研鑽以て、万一の報恩を期せんとす。嗚呼悲哉〕
慶應の医学部設立に尽力し、無給で初代学部長に就いたのも、報恩の精神からでした。コッホ博士が亡くなったときは、コッホ神社を作って祀りました。いまはコッホ・北里神社として、北里研究所の敷地内に建っています。
晩年の柴三郎は、自宅の庭一面に鳥小屋を作り、孔雀をはじめ、鳥をたくさん飼って可愛がっていました。死んだ鳥を見つけると、解剖して死因を追究せずにいられなかったというのが、医学者らしい(笑)。鳥のほうも柴三郎になついていて、毎朝7時に庭へ出ていくと、いっせいに鳴いて喜んだとか。しかしその鳴き声が近所迷惑だとわかると、上野動物園に掛け合って、すべて寄付したということです。
新1000円札のデザイン(表)(財務省より)
関東大震災のときは70歳。柴三郎は次男の善次郎、つまり私の親父に、入院していた夫人の乕(とら)さんを病院から連れてくるように命じます。ところが交通機関は乱れているし、あちこち火は出ているしで、なかなか帰って来ない。柴三郎は門前に出て行ったり来たりしていたといいますから、性格が出たんでしょう(笑)。ようやく帰って来ると、食事用の脚の長いテーブルの下に敷いておいた布団に、さっそく祖母を寝かせた。余震に備えた心配りです。親父にはひと言、「遅い!」と雷を落としたそうです(笑)。
「じいさんに比べられたらかなわん」
好んだ言葉は「終始一貫」。孫の私も、これを座右の銘としています。
私は下から慶應でしたが、「じいさんに比べられたらかなわん」と思ったので大学は工学部へ行き(笑)、卒業論文は医薬品に関するものでした。就職は、ペニシリンの製造・販売をしていた明治製菓を選びました。柴三郎から実学の精神を受け継ぎ、実業界に身を置くことにしたのです。
柴三郎がコッホ博士から教えられたのは、「学者は、高尚な研究で自己満足してはいけない。これを実際に応用して社会に貢献することこそ、本分である」ということ。
新1000円札のデザイン(裏)(財務省より)
福澤先生から教えられた「独立不羈(ふき)」の精神は、「自分でモノを考えて言動に移し、自分で責任をもつ」ということです。柴三郎はそこへ、「奉公人根性なきこと」と付け加えました。私の解釈では、「上司の指示を聞くだけで、自分でやりたい仕事があっても、失敗したら減点されて出世のさまたげになると思って、やらない。そんな根性ではダメだ」という意味です。
明治製菓の社長時代は新入社員に対する訓示で、いまは北里大学と慶應義塾大学の新入生への特別講義で、私は柴三郎の精神を伝えています。
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2019年06月18日
1万円、5000円、1000円の各紙幣を2024年に刷新することが発表されたのは、4月9日のことだった。1万円札に「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一、5000円札に津田塾大の創始者である津田梅子、1000円札には近代医学の基礎を築いた北里柴三郎を採用。紙幣の刷新は2004年以来20年ぶりとなる。
新元号「令和」が発表された直後のこの発表に対し、様々な意見が出た。なぜこのタイミングなのか、なぜ3人が選ばれたのか、なぜキャッシュレス時代に新紙幣が必要なのか、等々。
そこで真相を探るべく週刊文春編集局長・新谷学が財務省を訪ね、廣光俊昭・理財局国庫課長に話を聞いた。
Q1. 新紙幣、なぜ今だったのですか?
A1. 偽造防止の観点では適切なタイミングです
——なぜ、このタイミングだったのでしょうか。新元号「令和」を発表した直後で、安倍政権や財務大臣の功績づくりではないか、という声も出ました。
「お札が偽造されにくい力、これを“偽造抵抗力”と呼んでいるのですが、民間の印刷技術は日々進歩を遂げているので、相対的にお札の偽造抵抗力は低下していきます。ですから、改刷というものは定期的に、およそ20年に一度ぐらい偽造防止という観点でやっているんです。前回の改刷が2004年でしたから、そこから約15年が経過し、さらに改刷の準備には5年ぐらいかかります。そういったことを考えあわせると、改刷を発表するには適切なタイミングだったと思っています」
——前回の改刷は、偽造紙幣が増えてきたなかで急に行われたので「追い込まれ改刷」と呼ばれていたと聞きました。
「我々の言葉では『追い込まれ』ではなく、『緊急改刷』と呼んでいます(笑)。当時は多くの偽造が見つかり世の中の不安が高まるなか、特にATMを通る偽造が出るといったこともあり、背中を押されるように改刷をしたというのが実態です。緊急改刷のデメリットは、とにかく準備期間を圧縮してやらなくてはいけないこと。そうなりますと、新しいお札が出ても金銭機器が対応できない場合がある。当時、自動販売機は5割ぐらいしか使えないという報道もあり、国民の方々にはかなりのご不便をおかけしたというのが実情なのです。そういった教訓もあるので、今回は計画的に5年の期間をとって改刷をさせていただこうと」
Q2. 5年の準備期間、何をするんですか?
A2. 前半は印刷、後半は民間の対応期間です
——5年の準備期間はどう使うんですか?
「5年のなかで前半の2年半くらいは紙幣のデザインを確定して印刷に至るまでの期間、あとの2年半は民間の方々の対応期間としています。たとえばメーカーが新紙幣に対応する機器を開発するなどの期間です。ちなみにこれはトリビア的な話になりますが、前回の緊急改刷では福沢諭吉を変更しなかったんですよね」

戦後に発行された日本銀行券の一覧
——当時の新聞には「諭吉続投」と書かれていますね。
「とにかく新しいお札にしたい、でも準備期間が少ない、ということで福沢諭吉を続けて起用したと聞いています。今回はそうではないので、準備期間をしっかり取っているということですね」
Q3. なぜ漢数字ではなく算用数字にしたのですか?
A3. いわゆる「ユニバーサルデザイン」です
——なぜこれまでの漢数字ではなく算用数字にしたのですか? 日本のお金っぽくないという声も耳にしました。
「いわゆる『ユニバーサルデザイン』という観点ですね。高齢化社会となるなか、お年寄りにも使いやすいお札にすることが大切になってきています。それは日本だけではなく、世界的にも同じ潮流がありますね。ドル札やユーロ札も金額の数字は大きくなる傾向にあります。また漢字に比べて算用数字の方が画数が少ないので、『券種識別性』が高い。例えば目が不自由な方にとっても、わかりやすいお札にしていくことが大事という考えかたです」
Q4. キャッシュレス時代になぜ新紙幣が必要なのですか?
A4. まだまだキャッシュは増えています
——キャッシュレスの時代に、なぜわざわざ予算を投入して新紙幣を作るのか、という意見がありますがその点についてはいかがでしょう。
「キャッシュレスの時代と言われますが、実は日本はまだキャッシュが増えているのが現状です。もちろん国の施策としてキャッシュレスにはしっかり取り組んでいます。ただ、お札を使い続けている状況のなか、やはり偽造されてはまずいので、改刷は定期的にやっていかなければいけないと。アメリカ、欧州、中国など、キャッシュレスが進んでいると言われる海外でもまだキャッシュは増えている状況で、改刷も行われているのです。
ちなみにこれはトリビア的な話ですが、大阪に造幣局という硬貨を作るところがありまして。あそこの食堂はいまキャッシュレスなんですよ(笑)」
Q5. なぜ渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎の3人が選ばれたのですか?
A5. 業績が広く認められており、かつ精巧な写真があるからです
——1万円札は渋沢栄一、5000円札は津田梅子、1000円札は北里柴三郎、なぜこの3人だったのですか?
「肖像を選ぶにあたり条件がありまして、ひとつは偽造防止という観点から、精巧な写真が入手できること。もうひとつは国民に広く知られており、かつ業績が広く認められていること。それから前回も前々回の改刷も、明治以降の文化人から選ばれておりまして、今回もその考え方を踏襲しつつ、最終的には財務大臣に選んでいただいたということです」
——どのくらいの候補から選ぶんですか?
「偽造防止という観点から、そこは申し上げにくいのですが……ひとつ参考となるのは日本史の教科書です。日本史の教科書を見て、どれくらいの認知度があるのか、業績がどれくらい認められているのかといったことを検討しています」
——人選にメッセージを込めるということはあるんですか? 例えば経済に力を入れていこうとか、女性に活躍してほしいとか。
「渋沢栄一さんは日本資本主義の父、津田梅子さんは女性活躍の先駆者、北里柴三郎さんは日本細菌学の父ともいわれる業績がありまして、そこにメッセージを感じる感じないは、みなさんそれぞれかもしれませんが、いずれも現代にも通じる課題に取り組んだ方々です」
Q6. 津田梅子の写真が裏焼きという噂の真相は?
A6. 裏焼きではありません
——津田梅子さんの写真が裏焼き(左右が逆)ではないかという指摘もありましたが、真相はどうなんですか?
「裏焼きということはないですね。そもそも特定の写真をそのままお札の肖像にするということはないんです。複数の写真を参考にしながら作成していきます。今回もその点に関してさまざまな報道が出ましたが、実際、津田梅子さんの写真は右向き、左向きが複数ありまして、それらを参考にしながら今回のイメージ図を作ったということになります。そして、いずれにせよ、印刷に使う最終的な原版については、今後工芸官が彫刻を行って作成するものです」
——写真を探すというのはかなり大変な作業ですか?
「業績がある方はだいたい資料館や記念館がありますので、そういったところに問い合わせるケースが多いですね。写真を借りるときに、『お札の候補になっている』という言い方はせず、写真から彫刻にする修練のために貸してくださいという言い方をします。実際、修練はしていますので」
Q7. 誰が彫っているんですか?
A7. 工芸官という職員です
「印刷局に所属している『工芸官』という職員です。印刷局の製品にはお札以外に切手や印紙などもありますので、そういったものも作っています。お札に関してはおよそ20年に一度、晴れの場があるので、そこを目指してずっと鍛錬をしているのです。彼ら工芸官の間で『針研ぎ3年、描き8年、美蘭咲くのは18年』という言葉があります。美蘭(びらん)というのはビュランという特殊な彫刻刀で、美しい蘭の花を彫れるようになるのに18年かかる、という意味です。熟達するのにはそれだけ時間がかかるということですね」
——彫る方はいま何人ぐらいいるんですか?
「たくさんはいないですね。何人いるかということは申し上げらないんですけれど……。誰が彫ったかということは秘匿情報です。私がお札を彫りましたなどと取材を受けるケースも、これまで聞いたことがないですね。偽造されにくいものを作るという目的もあり、明らかにしてしまうとリスクにはなりますので、そこは秘密ということにしてください」
新紙幣が世に出るのは、2024年。実際どのような紙幣になるのだろうか。
写真=松本輝一/文藝春秋
(「文春オンライン」編集部)
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2019年06月17日
AI(人工知能)によって今ある職業の半分はAIに代替されるという。しかし、「その議論はナンセンス」だと断言するのは、数学者で『国家の品格』などの著者・藤原正彦氏だ。AI時代に人間力をどう磨くべきか。「プレジデント」(2019年7月5日号)の特集「『人間の器』の広げ方」より、記事の一部をお届けします——。
■品格を失い続ける2つの根本的理由
日本は今も品格を失い続けています。その根本的な原因は世界中を席巻したアメリカ型資本主義、いわゆるグローバリズムの浸透と活字文化の衰退です。この2つが日本人の心を荒廃させてしまったことは間違いありません。これから日本の将来を担う若者の生き方を考えるとき、この弊害をいかに克服していくかが重要といっていいでしょう。
数学者 藤原正彦氏
このうち、グローバリズムとは1980年代、米国のレーガン政権が自国の国益だけを考え、半ば力ずくで推し進めた強欲な経済政策でした。ミルトン・フリードマンを筆頭とするシカゴ学派の学説を鵜呑みにしたのです。それは一言でいえば、ヒト、モノ、カネが自由に国境を越える経済です。自由で公平な競争とはいっていますが、一切の規制を取り払って極限の利潤を追い求め、競争に勝った者がすべてを奪い取るシステムなのです。したがってこれは、1割の勝者と9割の敗者を生み出します。中間層を消す経済学です。
数学には「大数の法則」という定理があります。例えば、サイコロを10回振れば、回数が少ないため奇数と偶数の出る割合は7対3などとばらつきが出ることがありますが、1億回も振ればほぼ半々に収束します。しかし、現実世界では勝つ者は勝ち続け、負ける者は負け続けるので、サイコロのように公平な社会に収束せず、ゆくゆくは1%の勝者と99%の敗者となることは必然でしょう。
それなのに、日本の歴代政権はグローバリズムを信奉し、大企業や富裕層に有利な規制緩和や構造改革を強行。90年代半ばから今日にかけて、金融ビッグバンや郵政民営化、商法改正、そして商店街をシャッター街に変えた大規模小売店舗立地法の施行などアメリカから求められるままに受け入れてきました。経済に弱肉強食の論理を持ち込んだことで、日本人の持つ優しさや思いやりといった美風が失われ、物事を金銭で評価する風潮が世の中に蔓延するようになりました。
しかし、ここにきてグローバリズムの不合理に世界が気づきはじめたようです。16年の米大統領選で自由貿易ではなく保護主義を訴えるトランプが勝利したこともそれを物語っています。また、イギリスが国民投票でEU離脱を選択したことも、EUというグローバリズムへのイギリス国民の反発が強かったことにほかなりません。ただ日本だけが世界の潮流に逆行して、いまだにグローバリズム、挙げ句の果てにこれから多くの移民を受け入れようとしているのです。経済や政治は失敗してもやり直しが利きますが、移民だけは不可逆過程でやり直しが利きません。
■人間にしかない大局観と美的感受性
一方の活字離れは、97年頃から家庭にまでインターネットが普及したことで一気に加速しました。昔は駅前の書店は黒山の人だかりができていたのに、たちまち廃業に追い込まれ、この20年間で書店の数は半分程度に減りました。電車に乗れば、若い人から中年まで誰もが手にしているのはスマホ。かつてのように新聞や雑誌、本を熱心に読んでいる人はほんのわずか……。このままでは日本人の知的レベルは取り返しがつかないほど劣化してしまいます。
現代の人たちはインターネットで断片的な情報を得ているだけです。しかも、ウェブサイトの情報は99.99%は雑多なクズ情報です。情報をきちんと選択し整理したのが知識で、これを獲得するには新聞や雑誌を読まないと無理。しかし、知識だけでも本当の力にはなりえません。それを使いこなすには、本を読んで教養のレベルまで高めなければいけません。
なぜ教養が必要かといえば、それが「大局観」を持つための唯一の手段だからです。大局観は玉石混交の情報から本物の情報を選び取る能力。これがないと的確な選択はできません。ポール・ヴァレリーというフランスの詩人が、詩作において大切なのは「アイデアを出すことと、そのなかから一番いいものを選択すること」と述べましたが、より重要なのは後者の「選択」だと付け加えています。
最近、AI(人工知能)の活用によって、今ある職業の半分はAIに代替されてしまうといった議論を耳にします。しかし、数学者の私にいわせればナンセンスそのものです。少し考えればわかることです。ウエートレスという仕事1つをとっても、ただ単にお客の注文を聞いて、それをテーブルに運んだら終わりといったものではありません。お客の動きをじっと観察して、香辛料が欲しそうならテーブルに届け、お客がテーブルや床に飲食物をこぼしたり落としたりしたらすぐに拭き、子どもづれなら小さな椅子やおもちゃ、お子様用のメニューも持っていく。AIに接客用のデータを学習させることは可能でしょう。ですが、もてなしの心、お客を「ほっ」とさせる接遇を教えることは無理です。
また、詩や俳句をAIに考えさせたら短時間に1万個を作ることは可能でしょう。しかし、1万個の中でどれが本当に素晴らしいかを判断して選択することはAIにはできません。なぜなら、ウエートレスの例にせよ創作にせよ、それには深い情緒が必要だからです。
■情緒のほとんどは機械にはない、死に由来する
情緒のほとんどは、人が一定の時間の後に朽ち果てる、すなわち「死」という宿命を認識していることに由来しています。だからこそ「もののあわれ」とか「無常観」といった人間的に上質な感受性も醸成されるのです。機械であるコンピュータは古くなった部分はいつでも取り換えられます。したがってこういう深い情緒を身につけることはできません。美的感受性についても同じです。
日本には食糧自給率の問題があります。なかには「すべての穀物や肉を輸入したほうが農業のコストもかからず経済的だ」という主張をする人たちもいます。しかし、彼らは目先の経済のことしか考えていません。
農業が放棄され、農地が荒れ果ててしまったら、新幹線から見えるのはぺんぺん草がはえた景色ばかり。旅の車窓が実に味気ないものになってしまうでしょう。日本人の類いまれな美的感受性を支えているのが、美しい自然です。日本人は鋭い美的感受性により文学、芸術、数学、物理学などで著しい世界貢献をなし、社会も進化させ、世界に誇れる一流国をつくり上げてきたのです。
拙著『国家の品格』に書いたように、西暦500年から1500年までに日本一国が産んだ文学は、その10世紀間に全ヨーロッパが産んだ文学を質および量で凌駕しています。このような文化的水準の高さが、今世紀になってからの自然科学分野でのノーベル賞で、アメリカに次ぐ大量の受賞者を産み出したのです。
■自分たちは歴史上最低の若者
私はいくつかの著作でも、歴史を学ぶことの大切さを繰り返し書いてきました。前述の食糧自給率の問題にしても、イギリスのチャーチル首相は、食料の補給船が敵に破壊されて食糧備蓄が1週間を切った40年秋が一番怖かったと戦後に語りました。歴史を学んでいれば、食料を自国で生産できないことの弱みは明らかです。農業とは経済だけの問題ではないとわかるのです。
よく若い人たちからは「何を読んでいいかわからない」という質問を受けます。そこで、お茶の水女子大学で教鞭を執っていたとき、20名ほどの学生を対象に読書ゼミを続けました(詳しくは拙書『名著講義』(文春文庫))。『代表的日本人』(内村鑑三)とか『福翁自伝』(福沢諭吉)などを読み、レポートを提出させ、それを私が添削する。そして、授業中はディスカッションを行うのです。
ゼミ生の反応は期待を上回るものでした。彼女たちは、数冊読んだだけでみるみる思考力が高まり深まり、変わっていきました。「自分たちは歴史上もっとも知識があり思慮深い若者」と思っていた学生たちの中から「自分たちは歴史上、知識も情緒も最低の若者」と考える人さえ続出しました。それには「洗脳教育をしているのではないか」と自問したほどです。もちろん、読書習慣も身につき、人間的に成長する素地を持ったことにもなります。ある学生は「書棚に並んだ青帯(哲学思想・言語)の岩波文庫は私の勲章です」と話してくれました。これこそが、まさに読書の効用といっていいでしょう。
■日本のマンガは素晴らしい
古典や名作もさることながら、日本には大衆文学という国民の誰もが手にできるジャンルがあります。私もその恩恵に浴した1人ですが、少年時代には「立川文庫」と名づけられた講談本のシリーズがありました。猿飛佐助とか霧隠才蔵、真田幸村といった架空や実在の主人公の八面六臂の活躍に血をたぎらせ、肉を躍らせることで感情を育まれました。
『国家の品格』藤原正彦 著●日本が品格を取り戻すためには日本人が持つ美的感受性が重要であると訴えた日本論の著書。2005年に出版され、翌年の新語・流行語大賞に「品格」が選ばれるなど社会現象を巻き起こした。270万部超の平成の大ベストセラー。
マンガの素晴らしさも日本ならではでしょう。私が20代末にアメリカに留学したときのことです。母に頼んで「文藝春秋」とともに「少年マガジン」も送ってもらいました。その理由は「巨人の星」や「あしたのジョー」が読みたかったからです。星飛雄馬や矢吹丈の生きざまは、間違いなく若者の気持ちをゆさぶります。しかも、これらの作品のストーリーには庶民の哀感、人情の機微、武士道の神髄もがふんだんに含まれていたのだと後に気づきました。
加えて、世界の歴史を知ることは国際情勢を判断する視座を獲得することにもなります。例えば、第2次世界大戦のはじまる39年8月23日、犬猿の仲であったドイツのヒトラーとソ連のスターリンの間で独ソ不可侵条約が結ばれました。しかし、この条約には独ソ両国に挟まれるポーランドを分割統治するという恐るべき密約がありました。ゲルマン、ロシアという民族はそうしたことを平然とできるわけです。
ひるがえって、今日の日本はどうでしょうか。万が一、アメリカと中国が同じような発想をしたとしたら、日本も安穏としてはいられません。米中は合理的な思考をする点などはよく似ているので、今の対立は近親憎悪のようなものですが、共通点が多い両国が手を結んで、かつてのドイツとソ連のように日本を食い物にする可能性はいつでもあるのではないでしょうか。それが大国の国際戦略ですから、それぐらいのことは想定し、自主防衛に力を入れないといけません。歴史から現代を見るというのはそういうことなのです。
■最後に物をいうのは人間性と教養
いくつもの伝記を紐解くと立志伝中の人物には、それぞれ立身出世して高い地位につこうとする「青雲の志」がありました。私自身、学生時代は「男児志を立てて郷関を出ず。学もし成る無くんば死すとも還らず」の決意で勉学に励みました。それは、ある意味で人生の修行を続けることでもあります。そのプロセスで人間の器が大きくなります。
欧米では盛んに真のエリートをつくる教育が行われてきました。イギリスならイートン校のようなパブリック・スクールやオックスフォード大学、ケンブリッジ大学があり、フランスには大学より格上のグランゼコールがあります。
■本物のエリート
「真のエリート」には2つの条件があります。第1に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった教養を十二分に体得していること。第2として「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。残念ながら、この本物のエリートが現在の日本からいなくなってしまいました。
とはいえ、現代は民主主義の世の中です。戦前のように一部のエリートが国家運営を決めていくのではありません。国内外ともに政治が堕落し、国会議員にも官僚にも国を託せる人物はなかなか見当たらなくなりました。どこの国でも、国民一人ひとりが未熟で、きちんとした国会議員をリーダーに選ぶ大局観を失っているのです。民主主義の下では、教養なき国民は確実に国を滅ぼすことを、近刊『国家と教養』の中で詳述しましたが、活字文化の衰退も大きく影響しています。
最後に、私の知り合いに元外交官で評論家の岡崎久彦さんがいます。彼は何人もの外国要人と折衝した経験則から「外交交渉でも最後に物をいうのは、その人の持つ人間性と教養だ」と語っていました。どの分野で力をふるうにしても専門知識などのノウハウは不可欠です。しかし、それだけでは不十分で、物事は人間としての魅力で決まっていきます。さらに、深い教養がないと相手も全幅の信頼をおいてくれないし、認めてもくれないのです。つまり、いつの時代、どんな地域においても人間の中身を高めることが決定的に重要だということです。
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藤原正彦(ふじわら・まさひこ)
1943年生まれ。数学者、理学博士、お茶の水女子大学名誉教授。東京大学理学部数学科卒、同大学院理学系研究科修士課程修了。『国家の品格』『国家と教養』(ともに新潮新書)など著書多数。
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(数学者 藤原 正彦 構成=岡村繁雄 撮影=宇佐美雅浩)
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2019年06月16日
16日午前5時40分ごろ、大阪府吹田(すいた)市の府警吹田署千里山交番前の路上で、「警察官が血を流して倒れている」と110番があった。交番に勤務する同署地域課の古瀬鈴之佑(こせすずのすけ)巡査(26)が男に包丁で刺されて救急搬送されたが、意識不明の重体。男は巡査から回転式拳銃1丁を奪って逃走しており、府警は同署に捜査本部を設置し、強盗殺人未遂容疑で捜査を始めた。
府警によると、古瀬巡査は複数箇所を刺され、包丁は左胸に刺さったままの状態だった。拳銃につながるひもとベルトを固定する金具ごと外されており、拳銃には実弾が5発入っていた。
現場は阪急千里山駅前で、駅員の男性が、古瀬巡査と男がもみあっているのを見て110番。男は30歳くらいで身長170〜180センチ、黒っぽいジャンパーを着ていたという。この日午前4時15分ごろにも、特徴の似た男が交番周辺を歩き回る姿が防犯カメラに映っていた。府警はこの画像を公開し、男の行方を追っている。男は兵庫県尼崎市在住との情報もある。
事件直前の午前5時半ごろ、交番には古瀬巡査を含め警察官3人がいたが、窃盗事件の通報があり、古瀬巡査以外の2人が現場に急行。古瀬巡査も遅れて現場に向かおうとしていた。
通報は「集合住宅の部屋が荒らされている」という内容だったが、実際には被害はなく、府警はこの男が虚偽通報した疑いもあるとみている。
近くの大学3年の男性(22)は事件直後、交番前で古瀬巡査が血まみれで倒れているのを目撃。古瀬巡査はあおむけで倒れ、制服を脱ごうとして身をよじらせていたという。複数の警察官が駆け付け、「救急車が来るまで頑張れ」などと励ましていた。
石田高久・府警本部長は16日、「犯人の確保に向け、府警の全力を挙げて捜査中です。近隣住民の皆様には不安を与えて申し訳ありませんが、身の回りの警戒をお願いしたい」とのコメントを出した。【伊藤遥、土田暁彦、安元久美子】
警察官が襲われ拳銃が奪われた千里山交番近くのスーパーには、一時閉店を告げる紙が張り出されていた=大阪府吹田市で2019年6月16日午前9時5分、平川義之撮影
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2019年06月16日
大阪府吹田市で16日早朝、交番勤務の男性巡査(26)が刺され、実弾入りの拳銃を奪われた事件を受け、近隣の同府豊中市と箕面市は16日に予定していたイベントなどを中止すると発表した。
豊中市はホームページ上で16日に開催を予定していた市民講座を23日に延期するほか、市内のすべての中学校で16日のクラブ活動を中止すると発表。
一方、箕面市は倉田哲郎市長が市内の学校のクラブ活動や市民大会などのイベントを中止するとツイッターで発表。市民に外出を控えるよう呼びかけている。
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2019年06月15日
・西日本や東日本 大雨や強風に警戒
・北日本は明日にかけて天気下り坂
・沖縄、奄美は天気回復へ

雨の予想 15日(土)昼
今日6月15日(土)は、低気圧が発達しながら西日本付近を北東に進みます。西日本から東日本では雨や風が強く荒れた天気となります。河川の増水や土砂災害に警戒が必要です。強風による電車やバスの遅れ等にも注意してください。
西日本や東日本 大雨や強風に警戒
九州から関東の各地では断続的に雨が降り、九州や四国、中国地方、東海から関東の太平洋沿岸では非常に激しい雨が降るおそれがあります。道路の冠水や河川の増水、土砂災害等に警戒が必要です。
また、東海の沿岸部を中心に風が強く吹き、横殴りの雨となります。電車やバス等の交通機関に遅れが出る可能性があるため、交通情報や運行情報も確認するようにしてください。
北日本は明日にかけて天気下り坂

雨、風の強まる時間帯
東北や北陸では、雨がだんだんと本降りになり、夜遅くになると太平洋側で強い雨が降るところもあります。だんだんと風も強まるため、早めの帰宅が安心です。
北海道は太平洋側から雨の範囲が拡大し、道央や道北でも夜には雨が降り出します。
北日本や北陸では、明日は雨や風が強まり大荒れの天気となる予想です。随時天気予報を確認するようにしてください。
沖縄、奄美は天気回復へ
沖縄、奄美は天気が回復へ向かい、昼間は晴れる予想です。夏の空気が南へと押し下げられるため、午後になるとカラッとした暑さとなりそうです。

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2019年06月14日
買ったパソコンをそのまま使っていませんか? 動作が重いな……と感じることはありませんか? 簡単な設定変更だけで、パソコンの性能が見違える方法をご紹介します。やった人は、あまりの軽快さに驚くはず。
1.「視覚効果」を省いてパソコンをサクサクに
あなたは今のパソコンの動作速度に満足していますか? 中には「もっと性能の高いパソコンを選んでおけば良かった」と後悔している人もいるかもしれません。しかし、諦めるのはまだ早いです。実は買ったばかりのパソコンは、お節介な視覚効果がたくさん施されていて、これがパソコンの性能をかなり圧迫しているのです。
あなたがプライベートでメールやネットを楽しむ程度であれば問題ありませんが、もし仕事でばりばりパソコンを使いたいのであれば、これらのハンディは最初から取り除いておくにこしたことはありません。以下に、余計な視覚効果を省いて、パソコンをサクサク動かすための方法を紹介します。
①アニメ・透明表示をオフに(図表1-1)
作業に直接関係の無いアニメ・透明表示の視覚効果を以下の方法でオフにします。
スタート→設定→簡単操作→ディスプレイを選択し「Windowsにアニメーションを表示する」と「Windowsの表示に透明性を適用する」をオフにする
②パフォーマンス設定を見直す(図表1-2)
パソコン性能を抑えるパフォーマンス設定を以下の方法で見直します。
スタート→設定→システム→バージョン情報→システム情報→システムの詳細設定→パフォーマンス欄の「設定」→「パフォーマンスオプション」の視覚効果タブ→「パフォーマンスを優先」をチェック→続いて「カスタム」にチェック→以下の2項にチェックを入れてOKを押す
・「アイコンの代わりに縮小版を表示」※フォルダで資料のサムネイルを表示
・「スクリーンフォントの縁を滑らかにするにチェック」※フォントを見やすくする
これらを実施すると、お金をかけてパソコンのメモリを増設したり、専用ソフトを購入したりせずとも、驚くほど軽快に動くようになります。ぜひ試してみてください。